玉音放送が流れる中でも、列車は走った 当時のダイヤグラム見つかる

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上田雅文
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 1945年8月15日正午。敗戦を知らせる「玉音放送」が流れる中、列車がいつも通りに運行していたことを示すダイヤグラム(列車運行図表)が見つかった。国が所管する鉄道(通称・国鉄)の東北線のもの。さいたま市大宮区鉄道博物館の企画展「鉄道の作った日本の旅150年」で初めて展示されている。館の学芸員は、この日の国鉄のダイヤグラムは見たことがなく珍しい資料だと話している。

 見つかったダイヤグラムは、45年8月14~16日の東北線一ノ関―尻内(現・八戸)の運行状況を記録したもの。2019年秋ごろ、岩手県内にあるJR東日本の施設で資料整理中に発見されたという。

 図表には時間が横軸、駅名が縦軸に記され、列車の動きは赤色と青色で引かれた斜線で示されている。

 15日の図表を見ると、あちこちで斜線がギザギザに波打っていて、遅れながら運行していたことが分かる。ところどころに、運休を示す黄線も見える。

 主幹学芸員の奥原哲志さんは、燃料不足や、列車を動かす技術者の力量不足などが影響していた可能性があるとみる。

 当時は燃料の石炭が足りず、熟練した機関士らの多くは戦地に送られていた。「運行態勢はぎりぎりの状態だった」(奥原さん)。線路の多くが単線だったため、先行列車が遅れると後続に連鎖したという。

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 それでも、国民に衝撃を与えた玉音放送の終了後も列車は動き続けた。

記事の後半では、終戦の日の運行状況が読み取れるダイヤグラムのアップ写真、用紙不足で半分のサイズとなった切符の写真も掲載しています。

 16日の図表は展示されてい…

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