B29から雨あられと降り注ぐ焼夷(しょうい)弾。逃げ惑う人々は、街とともに焼き払われた。東京大空襲をはじめ、日本は全ての都道府県が空襲を受けた。戦時中のフィルムに残る空襲の生々しい傷痕。写真からよみがえる惨禍の記憶を、後世に伝える。
太平洋戦争末期、日本上空に飛来し、多くの焼夷弾や爆弾を投下した米軍の大型戦略爆撃機。全長約30メートル、幅約43メートルあり、エンジン4基を備え、「超空の要塞(ようさい)」と呼ばれた。高度1万m以上を飛行でき、航続距離は6000km以上で、最大約10トンの爆弾を搭載。広島に原爆を落としたエノラ・ゲイ、長崎に原爆投下したボックス・カーも同じB29だった。
米軍が都市爆撃に使用したM69焼夷弾は、木造の日本家屋を効率よく焼き払うために開発された。長さ51センチ、直径8センチの金属製の筒に、きわめて高温で燃えるゼリー状のガソリンが入った袋を詰めたもので、これを2段、計38本束ねた親爆弾を爆撃機から投下。上空約700メートルで分解して、散らばって落ちた子爆弾が屋根を突き破って屋内で爆発すると、火のついたナパーム剤が飛び散り、壁や床にへばりついて燃え続け、水をかけても消えにくかった。
東京大空襲・戦災資料センターが2014年11月に集計した各地域史(県史、市史、警察史など)の犠牲者の記録をもとに作製。
艦砲射撃による被害含む。原爆による死者は1945年12月までの推計。沖縄は沖縄戦での死者を除く
2019年3月8日公開/8月15日更新
企画:西村悠輔、石木歩
作成:小林由憲、宇根真、寺島隆介
(朝日新聞メディアプロダクション)
冒頭映像:米国立公文書館