目の前で妹の首絞められ… 沖縄「碑の名見るとつらい」

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 戦後72年の「慰霊の日」を迎えた沖縄。名護市辺野古で、米軍普天間飛行場宜野湾市)の移設に向けた埋め立て工事が始まってから初めて迎える「6月23日」に、20万以上の戦没者の名前が刻まれた「平和の礎(いしじ)」では、複雑な思いで手を合わせる人たちがいた。

「戦争につながるものは嫌」

 城間恒人さん(77)=北中城(きたなかぐすく)村=は平和の礎に軽く一礼して酒をかけた。父と2人の姉、そして妹の名が刻まれている。「みんな生きていた証しなんだけど、思い出してつらくなる」

 72年前の6月。5歳だった城間さんは、一家で沖縄本島南部を逃げ回った。米軍が迫る中、身を潜めた民家には、住民や日本兵ら30人ほどがいた。

 2歳の妹が鉄かぶとに入った米のとぎ汁を指さし、「あー」と声を上げた。すると日本兵がいきなり妹を母から取り上げた。あっという間の出来事。首を絞められた妹はその場で息絶えた。声を出すと米軍に見つかるという理由だった。

 翌日、父と姉たちがサトウキビ(ウージ)畑で銃弾に倒れた。それでも母は、妹の遺体を背負い続けた。

 妹を殺した日本兵への憎しみが消えることはない。「軍隊は住民を守らない」。城間さんは3年前から辺野古での抗議の座り込みに加わる。工事を止めることは出来ないとも思うが、今も週3回通う。

 「戦争につながるものは嫌。それだけなんです」

 浦添(うらそえ)市の善平朝…

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