岐阜に謎の「歯の塔」 26小学校に集中なぜ?

原知恵子
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 小学校の校内によくある像といえば「二宮金次郎像」。でも岐阜県では、「歯」の形をした塔がいくつも立っている。だれが、いったい何のために……。正体に迫った。

 岐阜市北部の方県小学校(児童数95人)。校庭の隅に「歯の塔」としるされた高さ約2メートルの像が立つ。1971年の建立で、台座部分には穴がある。毎年6月になると、この1年間で抜けた児童の歯をフィルムケースに入れ、像の中に一人ひとりが「納歯」する儀式をするという。

 同校6年の部田(とりた)えまさんは過去に納歯した。「目を閉じながら、小さい頃からの感謝の気持ちを込めて乳歯をいれました」と話す。

 岐阜県歯科医師会が09年に刊行した記念誌「飛翔(ひしょう)」によると、こうした歯のモニュメントは県内の少なくとも26校(廃校を含む)で確認された。標準的なのは1~2メートルの大臼歯型。26校中、6割以上が昭和40~50年代に建てられていた。「乳歯に感謝し永久歯を大切にする心を育む」「歯の健康意識を高める」といった目的のほか、「歯の優良校」として表彰された記念で建てられたものが多い。

 近隣の愛知、三重、富山、長野、新潟、静岡、石川、福井の各県歯科医師会に問い合わせたが、どこも「聞いたことがない」「把握していない」という回答だった。歯の塔がある学校が単発で存在する可能性は残るが、岐阜ほどまとまった情報は得られなかった。

 「全国的にも非常に珍しい教育実践です」。元教員の斎藤治俊さん=静岡県御殿場市=は、歯の塔についての論文を2011年に発表した。岐阜聖徳学園大学短期大学部で教えていたころ、偶然歯の塔を見かけたのが興味の発端だった。

 なぜ、岐阜では歯の塔が広まったのか。

 文部科学省の学校保健統計調査によると、むし歯がある小学生の割合は13年度は54・14%だが、歯の塔が盛んに作られた昭和40~50年代は90%前後もいた。歯科保健指導は、学校現場の大きな課題だっただろう。

 そのころ、岐阜には蒲生勝巳さん(故人)という歯科医がいた。蒲生さんは岐阜市立本荘小学校の歯科校医や県学校歯科医会副会長を務め、子供に歯の大切さを伝える意義を熱心に訴えていた。

 1969年、県内最古とされる歯の塔を同小に寄贈したのもこの人。大卒初任給が3万5900円(1970年)ほどの時代に、建設費用約5万円とされる像を寄贈し、他の学校や学校歯科医にも建設を呼びかけた。「岐阜は現在の養護教諭の前身である学校看護婦を全国で初めて置いたとされる土地。蒲生先生の熱意に応える協力的な歯科医、校長、保護者、地域住民が多かったのでしょう」と斎藤さんは話す。

 塔はあっても、納歯の儀式までやる学校は少なくなった。でも、方県小6年の野々村征也君は「この塔や儀式のおかげでふだんから歯でものを食べられるありがたさを意識できるようになった。学校の自慢です」。建立当初の思いは、きちんと引き継がれていた。(原知恵子)

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