夏目漱石「三四郎」(第八十一回)八の七

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 二人は半町(はんちょう)ほど無言のまま連れ立(だっ)て来た。その間三四郎は始終(しじゅう)美禰子の事を考えている。この女は我儘(わがまま)に育ったに違ない。それから家庭にいて、普通の女性(にょしょう)以上の自由を有して、万事意の如く振舞うに違ない。こうして、誰の許諾も経(へ)ずに、自分と一所に、往来を歩くのでも分る。年寄の親がなくって、若い兄が放任主義だから、こうも出来るのだろうが、これが田舎(いなか)であったらさぞ困ることだろう。この女に三輪田の御光さんのような生活を送れといったら、どうする気かしらん。東京は田舎と違って、万事が明け放しだから、こちらの女は、大抵こうなのかも分らないが、遠くから想像して見ると、もう少しは旧式のようでもある。すると与次郎が美禰子をイブセン流と評したのもなるほどと思い当る。但(ただ)し俗礼にかかわらない所だけがイブセン流なのか、あるいは腹の底の思想までも、そうなのか。其処(そこ)は分らない。

 そのうち本郷の通へ出た。一所に歩いている二人は、一所に歩いていながら、相手がどこへ行くのだか、全く知らない。今までに横町を三つばかり曲った。曲るたびに、二人の足は申し合せたように無言のまま同じ方角へ曲った。本郷の通りを四丁目の角(かど)へ来る途中で、女が聞いた。

 「どこへいらっしゃるの」…

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