夏目漱石「三四郎」(第六十八回)六の十三

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 三四郎はその時始めて美禰子から野々宮の御母(おっか)さんが国へ帰ったという事を聞いた。御母さんが帰ると同時に、大久保を引払(ひきはら)って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の宅(うち)から学校へ通う事に、相談が極(きま)ったんだそうである。

 三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そう容易(たやす)く下宿生活に戻る位なら、始めから家を持たない方が善かろう。第一鍋(なべ)、釜(かま)、手桶(ておけ)などという世帯道具(しょたいどうぐ)の始末はどう付けたろうと余計な事まで考えたが、口に出していうほどの事でもないから、別段の批評は加えなかった。その上、野々宮さんが一家の主人(あるじ)から、後戻りをして、再び純書生と同様な生活状態に復するのは、取も直さず家族制度から一歩遠退(とおの)いたと同じ事で、自分に取っては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹(きょうだい)は絶えず往来していないと治(おさま)らないように出来上っている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第々々に移って来る。すると野々宮さんがまたいつ何時(なんどき)下宿生活を永久にやめる時機が来ないとも限らない。

 三四郎は頭の中に、こういう…

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