夏目漱石「三四郎」(第六十四回)六の九

有料記事

写真・図版
[PR]

 あくる日は予想の如く好天気である。今年は例年より気候がずっと緩(ゆる)んでいる。殊更(ことさら)今日は暖かい。三四郎は朝のうち湯に行った。閑人(ひまじん)の少ない世の中だから、午前は頗(すこぶ)る空(す)いている。三四郎は板(いた)の間(ま)に懸けてある三越呉服店の看板を見た。奇麗な女が画(か)いてある。その女の顔がどこか美禰子に似ている。能(よ)く見ると目付(めつき)が違っている。歯並(はならび)が分らない。美禰子の顔で尤も三四郎を驚かしたものは眼付と歯並である。与次郎の説によると、あの女は反(そ)っ歯(ぱ)の気味だから、ああ始終(しじゅう)歯が出るんだそうだが、三四郎には決してそうは思えない。……

 三四郎は湯に浸(つか)ってこんな事を考えていたので、身体(からだ)の方はあまり洗わずに出た。昨夕(ゆうべ)から急に新時代の青年という自覚が強くなったけれども、強いのは自覚だけで、身体の方は元のままである。休(やすみ)になると他(ほか)のものよりずっと楽にしている。今日は午(ひる)から大学の陸上運動会を見に行く気である。

 三四郎は元来あまり運動好き…

この記事は有料記事です。残り1603文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら