夏目漱石「三四郎」(第三十五回)四の七

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 与次郎の帰(かえっ)たのはかれこれ十時近くである。一人で坐(すわ)っていると、どことなく肌寒(はださむ)の感じがする。ふと気が付いたら、机の前の窓がまだ閉(た)てずにあった。障子(しょうじ)を明けると月夜だ。目に触れるたびに不愉快な檜(ひのき)に、蒼(あお)い光りが射(さ)して、黒い影の縁(ふち)が少し烟(けむ)って見える。檜に秋が来たのは珍らしいと思いながら、雨戸を閉てた。

 三四郎はすぐ床(とこ)へ這入った。三四郎は勉強家というよりむしろ●徊家(ていかいか、●は低のへんがぎょうにんべん)なので、割合書物を読まない。その代りある掬(きく)すべき情景に逢うと、何遍もこれを頭の中で新(あらた)にして喜んでいる。その方が命に奥行があるような気がする。今日も、何時(いつ)もなら、神秘的講義の最中に、ぱっと電燈が点(つ)く所などを繰返して嬉(うれ)しがるはずだが、母の手紙があるので、まず、それから片付(かたづけ)始めた。

 手紙には新蔵(しんぞう)が…

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