20年前、名古屋市に住む母親たちが、原子力発電所反対のメッセージを込めたキルトを作り始めた。しかし、完成には至らず、作りかけのまま20年が過ぎたが、東京電力福島第一原発の事故を受け、若い世代の母親たちが今、その思いを受け継ごうとしている。
作りかけのキルトは、同市中区で無農薬野菜を使ったカフェ「空色曲玉(まがたま)」を経営する谷陽子さん(62)が保管してきた。
1991年、子どもが通う幼稚園の母親たち40人ほどと、布に刺し縫いをして文字や絵を描き、少しずつ作り始めた。名古屋から100キロほどの距離にある福井県内に次々に原発が建てられ、それに反対する石川県の女性たちが作ったのに倣った。
色の違う布を縫いつけたり、刺し縫いをしたりして、太陽や森、花の絵、メッセージを描いた20センチ四方の布地を縦横につなぎ合わせていった。
七夕のササ飾りに「自然」「平和」の短冊がついている絵、放射性廃棄物をイメージした絵に「みらいにのこすな」の文字、太陽や森、生きものなど自然の絵柄も多い。「原発から微量でも放射性物質が漏れれば環境を破壊する。自然を守ろうという思いもあった」と谷さんは言う。
母親たちは集まってキルトを作りながら、原発のこと、環境のこと、育児のこと、いろいろな話をした。谷さんは「同じ作業をしながら、一人ひとりが思っていることを語り合うことが大事だった」と振り返る。
20センチ四方の布地は縦横10枚ずつ、計100枚を正方形につなぎ合わせれば完成だった。二つ作り始め、一つはほぼ完成したが、もう一つは、58枚をつないだところで中心メンバーの子どもが卒園し、それを機に中断してしまった。
それから20年。福島第一原発の事故を機に、子どもへの放射線の影響を心配する母親たちが、原発に頼らない社会を作ろうと声を上げ始めている。
その一人、名古屋市の瀬尾さとみさん(36)が、谷さんが作りかけのキルトを保管していることを知り、仲間と愛知県庁に脱原発の要望に訪れた際などにキルトを借りて掲げた。瀬尾さんはさらに、「ぜひ私たちで完成させたい」と谷さんに相談。9月末から月1回程度、谷さんの店に集まって作ることにした。
瀬尾さんは「20年前にキルトを作っていたお母さんたちと、福島第一原発の事故で子どもを心配する母親の思いは同じ。今また思いを語り合いながらキルトを作りたい」と話している。
キルト作りの問い合わせは、メール(clairdelune1211@gmail.com)で瀬尾さんへ。(神田明美)