2011年7月13日21時44分
原発の段階的削減をどういう手順で進めるか――。
「新たな原子炉はつくらない」「古いものは閉めていく」
それが基本シナリオだろう。
事故を起こした福島第一原発1号機は運転開始から40年が経つ。稼働していた原子炉では日本で3番目に古い。
もっと古い日本原子力発電の敦賀1号機(福井県)と関西電力の美浜1号機(同)は国が10年間の延長を認めているが、いずれも活断層に近いことも考慮すれば、廃炉を急ぐべきだ。
幸い、初期の原発は出力が小さく、40年で停止しても電力供給が大きな影響を受けるわけではない。
福島第一の廃炉を前提に、全原発が40年で運転を停止していくと、原発の総発電能力が今より20%減るのは2021年、50%減るのは29年、最終的に原発がすべて止まるのは49年末という計算になる。
しかし、これではあまりに遅々とした歩みである。
まず急ぐべきは、今回の事故を教訓とした新たな安全基準や防災計画の設定だ。これは新たな原発建設に適用するのではなく、既存原発を「仕分け」する尺度となる。この基準に照らして補強が技術的に難しかったり、コストが見合わなかったりする原発は前倒しで廃炉にしていく。
では、どのような基準が求められるのか。
原発の設備機器や施設全体の頑強さについては、中央防災会議が進めている議論に沿って、科学的に考え得る最大級の地震による揺れと津波に備える形に一新する必要がある。
ハード面の壁が破られたとき、被害を最小限に抑えるソフト面も重要だ。施設で同時多発的に問題が発生した場合、どうやって事態を把握し、どんな対応をとるのか。危機管理態勢を根底から練り直すことが欠かせない。
防災対策も同様だ。これまで原発からおおむね半径10キロ以内が避難区域の対象だったが、今回は30キロを超える地域にも被害が及んでいる。範囲を広げると、居住人口や関係自治体が一気に増える。それでも避難が可能なのか、冷静に見極めなければならない。
以上のことを考えれば、菅直人首相の要請を受けて運転を停止した中部電力の浜岡原発(静岡県)3、4、5号機は、このまま廃炉にするのが賢明だ。大地震が起きる可能性が極めて高い立地に加え、事故が発生した際の経済的、社会的影響が大きすぎる。
基準や計画が改まっても、実際の運用で骨抜きにされてきたのが、過去の原子力の歴史だった。電力会社は地質や津波などの情報を握っていながら、都合のよいものしか出さない。
こうしたご都合主義を排除するには、専門的な立場から批判的に安全性をチェックする仕組みが不可欠だ。
今回の事故で機能を果たせなかった原子力安全委員会は、地震学など原子力以外の専門家もメンバーに加えるとともに、原発の定期検査についても法的権限を与えて関与させる。
原子力安全・保安院は、原発を推進してきた経済産業省から分離し、新たな原子力安全委員会の実動部隊として位置づける。米原子力規制委員会(NRC)などが参考になろう。
こうして態勢を強化した新たな規制・監督機関が安全基準の策定や原発の運転・廃炉のチェックを担っていく。
組織面では、原発の運営をこれまで通り電力各社に委ねるか、国営化するか、専業1社に集約するかといった点も、検討しなくてはならない。
原発の廃止にともない、立地自治体の再生も課題となる。原発による歳入が減り、雇用が失われることへの懸念は大きい。ただ、廃炉完了までには20年から30年はかかる。その間、原発に依存しない地域づくりに、周辺自治体とともに取り組んでほしい。
当面の問題として、定期検査を終えた原発の運転再開は、新たな安全基準に照らして、個別に判断していくことが本来の姿だ。
経産省による6月の安全宣言は、いかにも拙速だった。新たに実施するストレステスト(耐性評価)は、菅首相の戦略のなさから大きな混乱を招いたが、安全確保の面からは必要な手順だろう。アリバイづくりのテストであってはならない。
政府に求められるのは、原子炉の古さや活断層との距離など原発それぞれが抱える問題を精査し、リスクの大きい原発を個々に仕分けしていく作業である。少なくとも、40年を経過した原発の再稼働は認めるべきではない。
そのうえで、相当程度の安全が確保された原発は、地元の十分な理解を得て再稼働させていくのが筋道だ。
こうした課題をこなしながら脱原発を進めるには、移行期のエネルギーが重要になる。自然エネルギーが普及するには、まだ時間がかかるからだ。
期待されるのは天然ガスである。二酸化炭素は出るものの、最近の発電技術の革新で、排出量は石炭の4割程度まで減ったといわれる。
家庭やビルごとに発電できるうえ、排熱は給湯などに利用できる。熱を捨てるしかない原発に比べると、無駄が少ない。米国で地下の深い岩層に含まれるシェールガスの採掘が可能になったほか、ロシアやオーストラリアで大規模開発が進むなど、供給の安定性が高まっているのも強みだ。
原発か、自然エネルギーか、という二者択一では、結果的に脱原発が進まない。さまざまなエネルギー源への目配りが必要だろう。
政治的な回路という視点も大事だ。
ドイツの脱原発の背景には、緑の党などの環境政党が1986年のチェルノブイリ事故を契機とした反原発の民意をくみ上げてきた歴史がある。
ところが、日本では原発立地への反対運動があり、やはりチェルノブイリ事故の衝撃がありながら、ついぞ政治的な争点にはならないままだった。
今回の事故で、日本の政界にも原発見直しの動きが出てきた。次の総選挙までに、脱原発の道筋をきちんと構築して提示してもらいたい。