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地震発生から100日、被災各地で法要や式典

2011年6月18日21時25分

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写真:「百カ日合同供養」で焼香し、手を合わせる遺族ら=18日午前11時36分、宮城県南三陸町の大雄寺、山本壮一郎撮影拡大「百カ日合同供養」で焼香し、手を合わせる遺族ら=18日午前11時36分、宮城県南三陸町の大雄寺、山本壮一郎撮影

写真:約300体の身元不明の遺骨を預かる岩手県陸前高田市の普門寺では、震災から100日目の18日、行方不明者も含めた犠牲者を弔う法要があった。遺骨は、収容した安置場所と番号が書かれた木箱に入れられ白布で包まれていた=伊藤恵里奈撮影拡大約300体の身元不明の遺骨を預かる岩手県陸前高田市の普門寺では、震災から100日目の18日、行方不明者も含めた犠牲者を弔う法要があった。遺骨は、収容した安置場所と番号が書かれた木箱に入れられ白布で包まれていた=伊藤恵里奈撮影

写真:福島県いわき市平薄磯で亡くなった大和田淳(きよし)さんの自宅跡で18日、持参の酒を酌み交わす大学時代の同級生ら。地区の合同葬儀の後、小倉敏司さん(71・右端)は「会いに来たぞ」と大和田さんの弟や息子たちとともに旧友をしのんで献杯した=相場郁朗撮影拡大福島県いわき市平薄磯で亡くなった大和田淳(きよし)さんの自宅跡で18日、持参の酒を酌み交わす大学時代の同級生ら。地区の合同葬儀の後、小倉敏司さん(71・右端)は「会いに来たぞ」と大和田さんの弟や息子たちとともに旧友をしのんで献杯した=相場郁朗撮影

 地震発生から100日目となった18日、被災各地では法要や式典があった。

 児童、教職員合わせて84人が死亡、行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校の遺族らは市内で合同供養の式典を行い、父母ら約350人が参列した。同席した市教委の幹部は、防災計画の点検や指導が不十分だったことを認め、父母らに公式に謝罪した。

 祭壇には死亡・行方不明の児童、教職員の写真が飾られた。閉式後の市教委の説明によると、武山剛PTA会長が「今日を境に前を向いて歩いていきましょう」とあいさつした。

 読経と焼香の後、柏葉照幸校長が「安全に対する取り組みの不十分さ、校長としての対応の不十分さ、すべては私の至らなさの結果」と謝罪。市教委の今野慶正事務局長も「学校が定めた防災計画を点検、指導するなど、津波への危機意識を高めておくべきだったと悔やまれる」と謝った。

    ◇

 宮城県東松島市の慰霊祭で遺族代表の言葉を述べた和泉勝夫さん(66)は「残された者の使命として、亡くなった人の分まで生きていかなければならない」と力強く語った。それでも、100日はあまりに慌ただしく、家族の死を「まだ受け入れられない」という。

 身元不明の遺骨25体が安置されている仙台市青葉区の墓苑にある仮安置所でも、仏教、キリスト教、神道など複数の宗教者ら約20人が集まり、合同慰霊祭があった。

 遺骨箱の脇には犠牲者が生前に身につけていた衣服などが置かれた。県宗教法人連絡協議会の斉藤軍記会長(天理教)は「家族に引き渡せないのが残念。私たち宗教者にとっても、これからが本当の意味で慰霊の始まり」と語った。

    ◇

 岩手県大槌町が開いた合同慰霊祭には犠牲者遺族や不明者の家族約2千人が参列した。

 「新しい明日に向かって、がんばろう大槌」。追悼の辞を読み上げた安渡小6年佐々木晴也君(11)。自宅を流され、父母と妹、弟と5人で知人宅の2階で暮らす。隣に住んでいた町内会長の祖父勤司さん(67)は避難誘導中に津波にのまれた。祖母洋子さん(63)はよく赤飯を作ってくれた。「近所にお茶っこ飲みに行っているみたいな気がする」

 大槌町出身のアニメ声優で歌手の佐藤ひろ美さん(40)の父公克さん(68)はコンクリートの崖をよじ上って逃げる途中で津波にのまれ、行方不明のまま。ひろ美さんは献花後「不明者なので名前も読み上げられなかった。区切りのつけようがない。私の気持ちも行方不明です」。

 義援金を集めて渡してきた。今後は町の広報役になろうと決めた。復興のため、大槌を全国に売り込む。

    ◇

 津波の被害が大きかった福島県相馬市では山伏による慰霊祭があり、ホラ貝を吹いて犠牲者を供養した。

 霊場として知られる山形県の出羽三山からこの日、26人の山伏が同市の馬陵公園を訪れた。午後7時過ぎ、一斉にホラ貝を吹き、ブナの木とツバキの枝で作られた護摩壇(ごまだん)に火がつけられた。津波で被災した青森県から千葉県までの沿岸部には出羽三山の信奉者が多いとされ、山伏の星野文紘さん(64)らは毎年冬になると祈祷(きとう)のため、相馬市の家々も回っていたという。

 震災後、同市から出羽三山の宿坊に避難する人もいたことから、星野さんが「地元の人たちと犠牲者を供養したい」と申し出た。津波でいとこが亡くなり、自宅を流された高力登志子さん(66)は「復興はまだ進んでいない。この100日は短かった」と手を合わせた。

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