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100日「体の傷は癒えても…」 被災地、涙の黙祷

2011年6月18日12時55分

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写真:福島県いわき市平薄磯地区の合同葬儀。並んだ遺影の前に花が供えられた=18日午前10時9分、相場郁朗撮影拡大福島県いわき市平薄磯地区の合同葬儀。並んだ遺影の前に花が供えられた=18日午前10時9分、相場郁朗撮影

写真:宮城県石巻市の慰霊祭で、犠牲者を追悼する人たち=18日午前、諫山卓弥撮影拡大宮城県石巻市の慰霊祭で、犠牲者を追悼する人たち=18日午前、諫山卓弥撮影

写真:福島県いわき市平薄磯地区の合同葬儀。並んだ遺影の前に花が供えられた=18日午前10時5分、相場郁朗撮影拡大福島県いわき市平薄磯地区の合同葬儀。並んだ遺影の前に花が供えられた=18日午前10時5分、相場郁朗撮影

 東日本大震災から100日目となる18日、被災地では慰霊祭などが営まれた。

 1千人以上が犠牲になった宮城県東松島市では午前10時から、航空自衛隊松島基地で慰霊祭があった。4千席の会場は遺族らでほぼいっぱいになった。

 全員で黙祷(もくとう)した後、遺族を代表して妻と母を失った和泉勝夫さん(66)が追悼の言葉を述べた。「何でこんなことになったのかという悔しさと悲しさが強い」と語ると、すすり泣く人もいた。和泉さんは「体の傷は癒えても、心には大きな穴が開いたまま。残された者の使命として、亡くなった人の分まで生きていきたい」と締めくくった。

 同県岩沼市の慰霊祭でも約1200人が犠牲者を悼んだ。井口経明市長は「なぜ、これだけ多くの方々の命が奪われなければならないのか」と嘆きながら、「必ず復興します」と誓った。家族5人が犠牲になった沼田民雄さんは「3月11日が昨日のことのように感じられる。今も家族が犠牲になったという実感がわかず、そのうち帰ってくるのではと思うことが度々ある」と語った。

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