2011年6月16日8時7分
東京電力福島第一原発の復旧作業で汚染された車両を洗う仕事に携わりながら、福島県いわき市のライブハウスや路上で「被災地の声」を歌っている男性がいる。「斎藤悠志(ゆうし)」の名で活動する同市在住の佐藤賢治さん(28)。ふるさとの同県富岡町に戻る日を願って書いた歌だ。
生まれた街は原発事故で放射線まみれ/アイツの家は津波で流されちまった/一緒に見た桜もお前と遊んだ海も/全部全部……汚染されちまった
4月初め、「いまの気持ちを歌に残しておきたい」とつくったのが「被災地の声」だ。5月中旬にも、被災したいわき市内のライブハウスで歌った。
佐藤さんは20代のはじめから、東電の協力企業の作業員として原発で電気工事やバルブの点検などの仕事をしてきた。日給は、建設現場や道路工事より2〜3割高い。「普通の現場より、ほんのちょっとだけ、ぜいたく出来るぐらい」
中学生でギターを始め、3年ほど前からは、同市のライブハウスや路上でギターの弾き語りで歌っている。ステージに立つときも、原発に仕事に出るときと同じ、作業着姿だ。
佐藤さんが生まれ育った実家は、富岡町の「夜(よ)の森公園」の近くにある。春には桜並木やツツジを見ようと、多くの人が訪れる花の名所だ。
だが、町は原発事故のため全域が原則立ち入り禁止の警戒区域になった。埼玉や新潟に避難した家族は帰れるめどもたたない。「原発は大丈夫だって、信じ切ってきた俺たちが悪いのかな」と佐藤さんは言う。
原発事故後、神奈川県の知人宅に身を寄せていたが、4月初め、知人に誘われて車両の除染をするためいわきに戻った。復旧作業の拠点となっている福島県楢葉町のスポーツ施設「Jヴィレッジ」で、第一原発から戻ってきた東電や協力企業の車を水で洗い流すのが仕事だ。
防護服の上からカッパを身につけての作業は、暑さとの闘いだ。洗っても洗っても、放射線量が下がらない車もある。放射性物質を含んだ水が防護服にかかることもある。
歌の中には当初、東電を激しく非難する歌詞があったが、書き換えた。復旧作業の一員として働くうちに、「がんばっている社員もいる」と感じたからだ。
最近は、一時帰宅で警戒区域から運び出された車の除染作業の仕事も加わり、いっそう忙しくなってきた。「夏にはつらい仕事だけど、『夜の森』の桜をもう一度見られる日を信じて、出来ることをやるよ」(小島寛明)