2011年6月16日0時36分
1896(明治29)年に三陸沿岸を襲い、約2万2千人が死亡した明治三陸大津波から15日で115年を迎えた。東日本大震災の被害に「過去の教訓を生かし切れなかった」と後悔する被災者がいる。津波の恐怖を今度こそ後世に伝えようと資料収集に努める人も出てきた。
宮城県気仙沼市の地福寺で12日、合同慰霊祭が開かれた。「過去の教訓をうまく引き継げなかった」。近くの芳賀清成さん(83)はうなだれた。
18年前の夏。観光客に「寺の石碑に何が書かれているのか」と尋ねられた。苔生(こけむ)した石碑を磨いてみると、明治三陸大津波について記した文が現れた。437人と馬72頭が犠牲となって集落がほぼ壊滅し、生存者が高台に移ったことが記されていた。
石碑は教訓を後世に残すために作られたと聞いた。明治三陸大津波100年となる1996年に経緯を冊子にまとめ、地区に注意を呼びかけていた。だが、今回の震災でも地区で150人超の犠牲者が出て、自身も長女(56)を失った。
「海の近くに暮らす危うさをもっと語り継ぐことができなかったのか」。芳賀さんは今も悔やんでいる。
気仙沼市にある津波体験館。座席に座るとスクリーンに津波が映し出され、轟音(ごうおん)が流されて津波の様子を疑似体験できる。併設されている唐桑半島ビジターセンターには明治三陸大津波などの資料が展示されている。
「ここは津波の怖さを広める施設。今まで以上に防災啓発の場にしなくては」。センター事務局長の小松勇次さん(63)は、今回の津波被害を記録した写真や映像を集め始めた。約2500枚の写真が集まり、約180枚を展示している。小松さんは「被災地として記録を残す使命を感じている」と話し、記録の収集を続ける。(三浦英之、小泉浩樹)