現在位置:
  1. asahi.com
  2. ニュース
  3. 特集
  4. 東日本大震災
  5. 記事

「もう一つの震災」自主避難ただ1人に 長野・栄村

2011年6月12日9時4分

印刷印刷用画面を開く

Check

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

写真:隆起したアスファルトの横を通って下校する栄小学校の児童たち=8日、長野県栄村、遠藤啓生撮影拡大隆起したアスファルトの横を通って下校する栄小学校の児童たち=8日、長野県栄村、遠藤啓生撮影

写真:叔父の斉藤正春さん(左、73)の田植えを手伝いに来た中村くみ子さん(55)。地割れした水田(手前)は今年は利用できない。「植える事ができる場所を探して、一生懸命作業するだけ」=8日、遠藤啓生撮影

拡大叔父の斉藤正春さん(左、73)の田植えを手伝いに来た中村くみ子さん(55)。地割れした水田(手前)は今年は利用できない。「植える事ができる場所を探して、一生懸命作業するだけ」=8日、遠藤啓生撮影

写真:仮店舗のプレハブ小屋で衣料品店を営む福島サカエさん(67)。パジャマや肌着など被災者が欲しい物を並べている。「一日に何人もこないけど、開いているという安心感を与えたい」=9日、遠藤啓生撮影拡大仮店舗のプレハブ小屋で衣料品店を営む福島サカエさん(67)。パジャマや肌着など被災者が欲しい物を並べている。「一日に何人もこないけど、開いているという安心感を与えたい」=9日、遠藤啓生撮影

写真:村役場地下一階の職員休憩所で暮らす石沢たみさん(91)。3月12日の地震の直後は、避難所となった役場に100人以上が身を寄せていた。現在は石沢さん一人。村から3食弁当が支給されるが、「体に良くない」と、歩行補助機(左)を頼りに近くの八百屋まで買い物に行く。今月末には仮設住宅に入居する予定だ=8日、遠藤啓生撮影拡大村役場地下一階の職員休憩所で暮らす石沢たみさん(91)。3月12日の地震の直後は、避難所となった役場に100人以上が身を寄せていた。現在は石沢さん一人。村から3食弁当が支給されるが、「体に良くない」と、歩行補助機(左)を頼りに近くの八百屋まで買い物に行く。今月末には仮設住宅に入居する予定だ=8日、遠藤啓生撮影

写真:地震で自宅が傾き、仮設住宅への移住を余儀なくされた高橋昭さん(右、65)と妻キヨさん(61)。孫の身長が刻まれた自宅の柱を指さし、30年間住んだ思い出を振り返っていた。村からは取り壊しを求められているが、なかなか踏み切れない。「この柱があるから、離れられないね。思い出まで壊されてしまう気がして」=8日、遠藤啓生撮影拡大地震で自宅が傾き、仮設住宅への移住を余儀なくされた高橋昭さん(右、65)と妻キヨさん(61)。孫の身長が刻まれた自宅の柱を指さし、30年間住んだ思い出を振り返っていた。村からは取り壊しを求められているが、なかなか踏み切れない。「この柱があるから、離れられないね。思い出まで壊されてしまう気がして」=8日、遠藤啓生撮影

写真:被災した民家の男性が「村民を勇気づけたい」と、国道沿いに掲げた栄村歌の一節が書かれた垂れ幕=8日、遠藤啓生撮影拡大被災した民家の男性が「村民を勇気づけたい」と、国道沿いに掲げた栄村歌の一節が書かれた垂れ幕=8日、遠藤啓生撮影

写真:栄村の仮設住宅。40戸完成済みで、さらに15戸の建設が進んでいる=8日、遠藤啓生撮影拡大栄村の仮設住宅。40戸完成済みで、さらに15戸の建設が進んでいる=8日、遠藤啓生撮影

 「もう一つの震災」から3カ月――。東日本大震災の約13時間後、約2時間の間に震度6の揺れに3度見舞われた長野県栄村で、復興が進む。200棟が全半壊。東北の惨状にかすみがちだが、高齢化率45%の過疎の村は、もとの暮らしを取り戻そうと懸命だ。

 村は秘境「秋山郷」で知られ、新潟県境にある県最北の豪雪地。地震で死者こそいなかったが、家屋の倒壊や土砂崩れが数多く発生。一時は約2200人の住民の8割が、役場や学校などへ避難した。

 5月半ばまでに40戸の仮設住宅が完成し、自主避難していた人らが移った。いま避難を続けるのは、石沢たみさん(91)ただ1人。役場の一室で、6月下旬の仮設入居を待つ。

 「役場に住んでるなんて珍しいよね」。畳もある職員用の休憩室に、被災した高齢者住宅からテレビやこたつを運び込み、寝起きする。配給の弁当が届くが「野菜が食べたい」とトマトやキュウリを買いにゆき、健康のための散歩は欠かさない。

 JR森宮野原駅前の商店街では、十数軒の店の大半が営業を再開した。

 半壊した衣料品店「かねく」は、2カ月休業した後、4畳ほどの仮店舗にもんぺや農作業用の日よけを並べている。

 訪れる人はまだ日に数人だが「お客さんの顔を見るのがうれしくて。店を開けることが自分の生きる力になります」と、福島サカエさん(67)。

 食品や雑貨、電気製品の店から美容院、食堂がそろう商店街は村の「デパート」。診療所もあり、車の運転ができないお年寄りがバスで通う場所だ。

 「それを思うと、簡単には店をたためない」と夫の博さん(72)。震災後、絵手紙活動で交流がある全国の仲間から、70通あまりの便りが届き、励まされたという。

 村では12日、復興支援のボランティア団体が主催し、落語や炊き出しなどに住民を無料で招待するイベントが開かれる。(佐藤美千代)

検索フォーム

朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内事業・サービス紹介

東日本大震災アーカイブ

グーグルアースで見る被災者の証言

個人としての思いと、かつてない規模の震災被害、その両方を同時に伝えます(無料でご覧いただけます)

プロメテウスの罠

明かされなかった福島原発事故の真実

福島第一原発の破綻を背景に、政府、官僚、東京電力、そして住民それぞれに迫った、記者たちの真実のリポート

検索

亡くなられた方々

| 記事一覧