現在位置:
  1. asahi.com
  2. ニュース
  3. 特集
  4. 東日本大震災
  5. 記事

避難は屋上、体育館宿泊…首都圏の学校、訓練様変わり

2011年6月11日15時10分

印刷印刷用画面を開く

Check

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

写真:屋上に避難する児童ら。段差で転ばないよう教員が見守った=横浜市鶴見区の市立市場小、小林写す拡大屋上に避難する児童ら。段差で転ばないよう教員が見守った=横浜市鶴見区の市立市場小、小林写す

 東日本大震災を受け、首都圏の学校で避難訓練がより実践的なものに変わりつつある。「本番」を意識し、初めて津波を想定した屋上避難訓練をした学校のほか、体育館に泊まる訓練をすることにした学校もある。

 津波による校舎の浸水を想定し、5月中旬に屋上への避難訓練をしたのは、横浜市鶴見区の市立市場小学校。校内放送を合図として、低層階に教室のある低学年から順に4階建て校舎の屋上へと階段を上った。

 屋上への出口は一つしかない。児童が転ばないよう扉付近に教師2人を配置し、階段に進む人数も調整した。全校児童は約700人。4月に校庭への避難訓練をしたときは6〜7分で避難が完了したが、今回は約13分かかった。

 視察に訪れた市消防局の職員は、児童を迎えに来た保護者や避難してきた近隣住民を、児童でいっぱいになった屋上に上げるのか下の階にとどまってもらうのかを事前に決めておくよう、助言した。

 同校は海から4キロほど。近くに川が流れている。

 釣尚義(つり・なおよし)校長は「今回の津波がなかったら、屋上へ逃げるという発想はなかった。ただ、火災が同時に起こった場合は屋上は危険。様々な想定の訓練を考えなければ」と話した。

 同市は震災から2カ月経った5月、市立の小中高や特別支援学校計514校で避難訓練をした。海岸から2キロ以内や、洪水ハザードマップで浸水の恐れが指摘される地域にある70校は、校庭ではなく校舎の高い場所や近くの高台に避難する訓練に切り替えた。市場小の訓練はこの一環だった。

 東京都新宿区立牛込仲之(なかの)小学校(下津裕校長、全校児童約250人)では、9月10、11の両日に「防災キャンプ」が行われることになった。PTAを中心に町内会や学校も加わり、全学年の児童や保護者らが体育館に段ボールを敷くなどして1泊する計画だ。

 避難所になったときの状態に近づけるため、乳幼児のいる近所の家庭などにも参加を呼びかける。町内会による避難所の運営訓練も行うという。PTA会長の野中一彦さんは「これまでは反発する保護者もいるのではと考えて尻込みしていたが、震災を受けて絶対にやらなくてはならないと決意した」と話す。

 防災マニュアルの見直しも首都圏各地で進む。

 相模湾に面し、沿岸部にある学校も多い神奈川県藤沢市は、震災後、小中学校の地震対応マニュアルを見直した。震災前の「原則、校庭に避難」から「津波警報が出た場合は校舎の3階以上に避難」に改めた。

 東京都江戸川区教委の担当者は、区の防災計画が津波を想定したものに変われば、屋上へ避難する訓練が必要になるとみる。担当者は「校舎は屋上への避難を想定した構造になっていない。階段が細く危険なうえ、緑化や太陽光発電設備の設置で屋上に避難スペースがない学校もあり、考えるべきことが多い」。

 同・足立区のある区立小は3月下旬、急きょ防災マニュアルを作り直した。緊急連絡先として、自宅のほか連絡のつく携帯電話なども保護者に登録してもらうことなどを盛り込んだ。

 震災発生時は児童約700人の半数がまだ学校におり、保護者に連絡を試みたが、難航した。その教訓からだ。校長は「今回の体験をふまえて作り直したが、これで自信を持って対応できる、とまでは言えない」と話している。(小林恵士、峯俊一平、増谷文生)

検索フォーム

朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内事業・サービス紹介

東日本大震災アーカイブ

グーグルアースで見る被災者の証言

個人としての思いと、かつてない規模の震災被害、その両方を同時に伝えます(無料でご覧いただけます)

プロメテウスの罠

明かされなかった福島原発事故の真実

福島第一原発の破綻を背景に、政府、官僚、東京電力、そして住民それぞれに迫った、記者たちの真実のリポート

検索

亡くなられた方々

| 記事一覧