2011年6月1日18時37分
【動画】南三陸町の志津川病院が登米市に移転
開院式で久しぶりに集まり、笑顔を見せる公立志津川病院の医師や看護師ら。自宅が津波で流された看護師の西條由紀さん(31)は「今日まであっという間でした。開院を待っていた患者さんに早く会いたいです」と語った=1日午前8時53分、宮城県登米市、遠藤啓生撮影
津波で大きな被害を受けた宮城県南三陸町は1日、公立志津川病院を隣接する登米市の空き病棟に移転した。被災地で公立病院が運営自治体の外に移るのは初めて。手厚い医療を提供するための策だが、町に唯一の病院がなくなり、住民からは不安の声もあがる。
南三陸町の中心地から内陸に約20キロ離れた登米市立よねやま診療所。空いていた入院病棟に1日午前、「公立志津川病院」の看板が掲げられた。
一般病床27床、療養病床12床を5年間無償で借り、医師3人、看護師30人らが診察にあたる。3室の診療室はホールをベニヤ板で区切った。看護師の名札は手書き。開院式で佐藤仁町長は「スタッフは複雑な思いで今日を迎えたと思う。病院は必ず町内に再建する。それまでここで頑張ってほしい」と涙ぐんだ。
町で唯一の病院だった志津川病院は、病床数126床で、年間に外来約5万人、入院約4万人を受け入れてきた。津波で5階建て病棟の4階まで浸水し、入院患者や職員ら約70人が死亡・行方不明になった。
震災後、イスラエル軍が町内の高台に設けた仮設診療所を引き継ぎ、4月中旬からプレハブで外来診療を再開。しかし、診療室が狭く、入院患者に十分な対応ができなかったため、町外に移転先を確保した。プレハブは「公立南三陸診療所」と名称変更して残す。
1日、病院を訪れた40代女性は「少し遠いけど、診察から入院まで同じ医師にみてもらえるのはありがたい」と話した。一方で、不安の声もある。避難所で暮らす主婦(75)は「津波で流されて車がない。親族が入院しても見舞いにいけない」。町は今後、巡回バスなどで患者や町民の通院手段を確保する。(三浦英之)