2011年5月30日11時33分
【動画】ツッチー救出作戦始まる 陸前高田・ツチクジラのはく製
ツチクジラの剥製(はくせい)を運び出す国立科学博物館の研究員や自衛隊員ら=29日午前8時41分、岩手県陸前高田市の「海と貝のミュージアム」、金川雄策撮影
岩手県陸前高田市の「海と貝のミュージアム」で、東日本大震災で被災し壊れてしまったと考えられていた日本でも最大級の全長10メートル近いツチクジラの剥製(はくせい)が、ほぼ完全な形で残っていた。地元の高校生らからは「ツッチー」の愛称で親しまれてきた。地元のSOSを受け、国立科学博物館の専門家の指導で救出作戦が始まった。
見つかったのは、ミュージアム1階南側。展示場所で、押し寄せたがれきと壁との間に挟まれていた。奥から顔をのぞかせているのを名誉館長の戸羽親雄さん(79)が地震翌日に発見、主任学芸員の熊谷賢さん(44)が確認した。
今月28、29の両日、自衛隊の協力も得て、約20人がかりで初めて「救出作業」に乗り出した。鎖やエアジャッキを使いながら、がれきを取り除き、少しずつ引き上げる。壊れないように両脇から作業員が抱え、数センチ動かすのに何十分もかけて慎重に作業を進めた。28日は夜まで作業がおよび、投光器で照らしての作業になった。天井のワイヤから外し、可動式の枠組みに移すのに、結局、約10時間も要した。
ミュージアムは、海から300メートルほどのところに建っていた。大津波で、高さ15メートルの建物の最上部だけを残してほとんど水没し、展示や標本も多くは流出してしまった。
貝類の貴重な標本コレクションなど6千種11万点を収蔵し、小さな水族館を兼ね備えた施設。ツッチーは海中の風景を前に、天井からワイヤでつるされていた。
「ツッチーも海へ帰ったと思ってあきらめていた。無事と聞いて涙が出るほどうれしかった」。市内の高校でツッチーをテーマに3年に及ぶ自由研究を指導した伊勢勤子教諭(51)は喜ぶ。
ツッチーは10トン以上もある若いメスだった。3メートルを超えるクジラは骨格標本はよくあるが、剥製は難しい。だが、1954年に国際捕鯨会議が東京で開かれるのを機に、千葉県白浜沖で捕獲された「ツッチー」を剥製にした。
柔らかく傷つきやすい巨体を作業部屋に運び込むことは容易ではない。広いスペースも必要だ。内臓を取り出し、形を保つための心棒やかんなくずなどを詰める作業も並み大抵でない。
手がけたのは、忠犬ハチ公の剥製も製作した国立科学博物館の技官で剥製師の故・本田晋さん。70年に本田さんと親交のあった旧広田水産高校の創立30周年の記念に寄贈され、ミュージアムにたどり着いた。戸羽さんは「我が子を手放すのと同じ思いだったのだろう。涙を流しておられた本田先生の姿が忘れられない」と振り返る。
当時、小学生だった砂田比左男さん(49)は「布で包まれたクジラを積んだトラックが通るときは、みんなで校庭の端まで見にいった」と振り返る。
ミュージアムに来てから樹脂でコーティングしたため、作製当時の剥製のような本来の皮膚は見えなくなった。だが、そのおかげで津波から守られたようだ。
28、29日の作業をしながら、国立科学博物館動物研究部の山田格グループ長が「診察」もした。胸びれや腹部の小さな穴から汚水を出し、少しずつ慎重に移動させた。
現在、一時保管場所を探しており、山田さんは「陸前高田市の復興のシンボルとして、津波の記憶を残す資料として、何とか残せるようにしたい」と話している。(波多野陽、竹石涼子)
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〈ツチクジラ〉 日本近海など、北太平洋に生息する。成長すると全長12メートルほどになり、重さは十数トンになる。鼻先が木づちの形に似ていることから、ツチクジラの名前が付けられた。千葉県や北海道周辺ではツチクジラ漁を続けている。