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埼玉に避難の千人、一時帰宅できず 福島・双葉町の住民

2011年5月28日19時1分

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写真:旧騎西高校では、夏の日差し対策として、ヘチマが窓を覆うようネットを張る作業も行われた=埼玉県加須市拡大旧騎西高校では、夏の日差し対策として、ヘチマが窓を覆うようネットを張る作業も行われた=埼玉県加須市

図:双葉町の避難ルート拡大双葉町の避難ルート

表:避難者数の推移拡大避難者数の推移

 埼玉県に集団で避難している福島県双葉町の住民千人余が、26、27日に実施された一時帰宅にいずれも参加できなかった。町から約200キロ離れていたため対象にならなかった。

 福島第一原発が近くにある同町民が集団生活する埼玉県加須市の旧県立騎西高校。門馬千恵子さん(62)は「アルバムなどを取りに行きたかった」と残念がる。

 今回の一時帰宅では、町は移動距離が短くて済む福島県内にいる町民を優先。小規模の移動にとどめ、課題がないか見たかったからだ。そのため、門馬さんも応募はしたが、選ばれなかった。

 小学1年の孫が近くの小学校に通っており、転校がかわいそうで埼玉にとどまっているが、「プライバシーがないのは苦しい。孫や孫の友だちみんなで福島に戻るのなら、戻りたい」とこぼす。

 旧騎西高校に残る町民の理由は様々だ。「役場から離れたら情報が来なくなる」「みんなが周囲にいる環境でないと、高齢の父親を置いて仕事に行けない」

 しかし、なじみのない土地で望郷への思いを募らせる人は多く、福島に戻る人も相次ぎ、人数が減りはじめた。4月上旬には約1400人の町民がいたが、今では1100人を割った。

 一方、今回一時帰宅した60人の約8割はホテルリステル猪苗代(福島県猪苗代町)で生活している。4月にできた双葉町民の避難所で、故郷への距離が約80キロと近く、個室で過ごせるため、当初の約200人から1カ月半で約700人に増えた。

 そもそも埼玉への避難は、井戸川克隆町長(65)が「町民を1カ所に集めたかった」として役場機能ごとの避難を独自に決めたという。7カ所の避難所に約3千人が分散した近隣の町では寄せられる要望を集約できず、風呂も一部にしかなかったために「公平を保つため」に、全町民に入浴させなかった。そうした状況から、井戸川町長は決断した。

 3月17日、町長の知人を介して埼玉県に受け入れの打診をしたところ、即決されたという。

 約7千人の町民のうち3千人は集まる。そう踏んでいたが、現実は約1400人にとどまった。それでも「ほかの町民と一緒にいられることが安心だという人を守っていきたい」と集団生活にこだわる。

 プレハブの風呂や洗濯場など、旧騎西高校の施設整備には約1億5千万円かかる。光熱費や食費などを入れると、埼玉県の今年度の支出は少なくとも7億〜8億円に上る。国との負担の話し合いはこれからという。

 上田清司・埼玉県知事は11日、福島県を訪問した際に記者団に語った。「(埼玉での集団生活の)出口を国の方で専門的な見地から出していただきたい」(釆沢嘉高、茂木克信)

    ◇

 〈双葉町の県外避難〉 3月12日、福島第一原発1号機の水素爆発事故を受け、約40キロ先の川俣町に役場ごと避難した。同19日には約1200人の町民とともに「さいたまスーパーアリーナ」(さいたま市)に移動。月末の使用期限が迫った同30日からは、加須市の旧県立騎西高校に移り、長期化を視野に入れて集団生活を続けている。

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