2011年5月21日14時0分
津波で破壊され、骨組みだけになった宮城県南三陸町の防災対策庁舎。その屋上で、建物が津波にのみ込まれる瞬間まで、写真を撮影し続けていた町の広報担当者がいた。自らもその直後に流されたが、上司に救助され、一命を取り留めた。「この記録だけは残したい」と、抱え込んだカメラは水につかり壊れたが、データだけは残っていた。
同町総務課職員の加藤信男さん(39)。当時、企画課で広報を担当していた加藤さんは地震発生直後からカメラを握りしめ、棚が倒れて書類などが散乱する役場内を撮り続けた。
町の様子を撮ろうと外に出たとき、役場の隣に立つ高さ13メートルの防災対策庁舎から「すぐ上がれ、津波が来るぞー」という声が聞こえ、階段を駆け上った。
屋上にたどり着くと、海の方から黄色い煙を巻き上げ、津波が押し寄せてくるのが見えた。民家や車をのみ込みながら、庁舎に押し迫ってくる。加藤さんは「ずっと(カメラの)ファインダーをのぞいていたので、不思議と恐怖は感じなかった」。
津波は時間とともに、どんどん高くなった。ちょうど3階建ての庁舎の屋上にまで達しようとしたとき、誰かが「来るぞ、つかまれー」と叫んだ。夢中でシャッターを押し続けていた加藤さんは、慌てて周囲を見回したが、つかまる場所がない。黒い波に足元をさらわれた瞬間、反射的にカメラをジャンパーの内側に押し込んだ。
「自分が死んでも、この記録だけは残そう」
全身がのまれて流された。ふと波間に顔が出たとき、「おれの手につかまれ!」という大声を聞いた。遠藤健治副町長だった。とっさに腕をつかんだが、また体は水面下に潜った。息ができず数分。「ちっくしょー、死にたくない!」。頭の中で何度も考えたが、そのまま気を失った。
水が引いて気がついたときには、庁舎の屋上の端から端まで十数メートル流されていた。手すりをつかんだ副町長が、もう片方の手でずっと離さずにいてくれた。「いくら感謝しても、感謝し切れません」と話す。
庁舎の屋上には当時、約30人の町職員らが避難していたが、生き残ったのは11人だけ。デジタルの一眼レフカメラは使えなくなったが、データは奇跡的に残っていた。加藤さんは「生き残った南三陸の人々と一緒に、これからも一生懸命頑張っていきたい」と話している。(三浦英之)