2011年5月12日3時0分
都市部が被災した阪神大震災と比べ、東日本大震災の被災地は自治体の規模が小さく、津波の被害が甚大だった点で大きく異なる。震災から2カ月たち、この違いが復興の歩みにも大きな影を落とし始めている。
東日本大震災の津波被害は南北500キロにわたる。被害が集中した岩手、宮城、福島の3県の太平洋沿岸の36市町村のうち、人口10万人以上の都市は仙台市、宮城県石巻市、福島県いわき市だけだ。街づくりに不可欠な1級建築士の資格をもつ建築主事を置く自治体も、3市のほかは岩手県宮古市、同釜石市、宮城県塩釜市に限られる。29市町村は一般職員数が400人以下だ。
1995年1月の阪神大震災当時、神戸市は人口148万人。近隣の兵庫県西宮市や尼崎市は50万人、宝塚市や伊丹市も20万人の規模だった。自治体の財政力にも大きな差がある。
今月11日現在で11万5098人が避難所暮らしを強いられているが、完成した仮設住宅は7748戸。阪神大震災では2カ月後に1万2千戸が完成していた。
だが、遅れているのは仮設住宅だけではない。
阪神の2カ月後、神戸市や西宮市など4市1町は区画整理事業に着手した。行政主導の手法には被災者から反発の声も上がった。兵庫県は同時期、民間資本も含め3年で計12万5千戸の恒久住宅を供給する方針を示した。
各自治体は、被災者に劣悪な条件の避難所から仮設住宅に移ってもらった上で、自力で再建を目指せるか意向を確認することになる。自力再建を目指す人には雇用や土地の確保が不可欠で、高齢や失業により自力再建が難しい人には公営住宅が必要になる。
この結果を受けて自治体は街づくりの計画を立てるが、被災した3県はいずれも恒久住宅の計画には着手できていない。(歌野清一郎、坂田達郎)