2011年5月12日0時21分
■河合節二さん(50) 野田北ふるさとネット事務局長
もどかしい。歯がゆい。震災後の動きに、そう感じて仕方がない。
16年前の阪神大震災のあの日、13ヘクタールの範囲に約1千世帯が住んでいた兵庫県神戸市長田区の野田北部地区は家屋の3割が全焼、7割が全半壊、死者41人という壊滅的な被害を受けた。
ただ立ち直りは早かった。夕方4時にJRの駅前広場で住民たちが災害対策本部を設置。その足で我々の代表は区役所へ行って、物資を避難所に運んでもらった。
避難所ではボランティアの協力で被災者の意向調査をした。これからどうしたいのか。今後はどこへ行くのか。住み続けるとしたら持ち家か、借家か……。みんなの考えを知ることは、街の再建を考えるうえで役立った。住民の連絡先の把握も重要だった。個人情報の扱いが厳しい今では考えられないが、手書きで紙に書き込んでもらいデータベース化した。
1カ月後には住民と行政、まちづくりのコンサルタント業者を交えた復興対策委員会を設立。こんな街にしたいという案を行政に示した。道筋が見えれば5年後、10年後も頑張ろうという気持ちがわく。そういう視点が大切だ。
甚大な被害を受けた私たちが復興できたと言われるのは、「野田北部まちづくり協議会」を中心に自分たちで動いたから。もともと古い木造住宅の密集地でご近所付き合いが濃密だったことが大きかった。
区画整理や住宅再建のめどがたった後は、自治連合会や婦人会、長寿会やNPO、商店会などの連携を強めようと、住民組織「野田北ふるさとネット」を立ち上げた。地域の情報誌を全戸配布し、月1回の定例会で情報交換をしながら地域の運営にあたっている。
東北の被災地には、我々以上に濃いつながりがあるはずだ。やがてはまちづくり協議会的な組織ができると思う。ここにまちづくりの経験豊富な人材が加わればうまくいくのではないか。専門家は全国に多くいる。この人たちを雇い、現地へ派遣するくらいの腹が国にはないのだろうか。
初動を見誤ると終わりもずれ込む。例えば、仮設住宅を不便なところにたくさん建てるのでは、阪神の教訓が何も生かされていないことになる。国がやるべきことをしないままに増税なんてしたら、支える側が疲弊してしまう。
不便さはボランティアで補いながらも、濃い人間関係をいまこそ生かした住民主体のまちづくりが実現することを願う。(聞き手・谷辺晃子)