2011年5月11日3時0分
東京電力福島第一原子力発電所から半径20キロ以内の「警戒区域」内で、初めて実施された住民の一時帰宅。中郡佐内(ちゅうぐん・さない)さん(84)と長男の一之さん(54)の親子は10日午後、白い防護服を脱ぐと「忘れ物はながったし、よがった」とホッとした表情を浮かべた。ポリ袋には、夏服やバリカン、ひざを痛めている佐内さんの軟膏(なんこう)。この先、必要になりそうなものが入っている。
2人は、1カ月ぶりの自宅に入った。木の匂いに迎えられ、「やっぱりうちさ、いいなぁ」と、同じ言葉が口をついて出た。それぞれ必要な荷物を黙々と詰め込むと、30分ほどで終わった。
やや間があって、ふいに佐内さんが「ゴミ、散らがってんのが気になる」と、家の外に目を向けた。「かあちゃんいたら、怒られっからなあ」と一之さんが答え、2人で家の前の道を片づけ始めた。
16年前、妻のフミノさん(当時66)が亡くなった。佐内さんはそれから一人暮らしだったが、2年前に一之さんが地元に戻り、一緒に暮らしている。男2人の所帯は会話が弾むものでもない。佐内さんは自宅の畑で野菜を作り、一之さんは土木作業員として働いた。
第一原発で爆発が起こり、2人は避難所や親類の家を転々とし、今はいわき市の知人宅に身を寄せている。原子炉建屋にポンプ車が放水する様子をテレビで見て、佐内さんは40代のころ、第一原発の建設に関わっていたことを思い出した。「安全じゃながったんだな」と残念に思う。
一時帰宅ができることになり、何を持ち帰るか、2人はポツリポツリ言葉を交わし始めた。ひとつ、意見が合った。妻であり、母であるフミノさんの位牌(いはい)や遺影、アルバムはそのままにしておこうと。
この日、その約束通り、置いてきた。佐内さんは話す。「川内は水はきれぇだし、空気もおいしい。『おれら頑張ってくっから。ぜってぇ帰ってくっから』って、かあちゃんに言ってきたんだ」(貞国聖子)