2011年5月8日19時8分
東北3県の造船所が津波で壊滅状態となってから約2カ月。漁業の再建に向けて一歩を踏み出そうにも、船の建造や修理が進められない状況が続く。そんな中でようやく周囲の支援を受けて再開にこぎ着ける造船所が現れ、復興の槌音(つちおと)も聞こえ始めた。
岩手県釜石市の釜石造船所が業務を再開したのは5月2日。被災して船底に穴があいた定置網漁船の修理を始めた。ドックに、久しぶりに修理の音が響いた。
同造船所は長さ50メートルまでの船の建造と修理ができた。だが、津波ですべての機材が流失。代わって流木や車などが約3メートルの高さまで積み重なった。石村栄太郎社長(58)と従業員らは機材を捜し、近くの沢の水で洗うなど、準備をしてきた。
水道は復旧せず、電話は不通のまま。それでも修理業務を再開できたのは、神戸や横浜など県外の同業者や知人がトラックで溶接機械や発電機を運んできてくれたからだ。石村社長は「まずは使える船を沖に出してあげたい。まだ第一歩だが、いくらかでも漁業復興に役立てれば」と話す。
国土交通省によると、大規模な造船所として届け出があった岩手、宮城、福島3県の33カ所のうち、津波で30カ所が全壊、3カ所が半壊した。うち釜石造船所を含む9カ所が6日までに再開に向けた動きを連絡してきたという。
岩手県と宮城県で計約2万7千隻あった漁船は、推計で約9割が被災。港などで、海に沈んだ漁船の引き揚げ作業が続いている。修理できない船や行方がわからない船も多い。
岩手県大船渡市の小型船の販売・修理会社「互洋大船渡マリーナ」では、大型連休明けにも小型船の修理を始められる見通しだ。すでに約170隻が持ち込まれ、12人の修理工を2倍に増やす。
津波で、部品を保管していた2階建ての倉庫を失った。菅野亨社長(65)は自宅が被災し、母親(86)を亡くした。再開のめどがついたのは、やはり知人や親戚の支援のおかげだ。機械だけでなく、資金や車も提供してくれたという。菅野社長は「恩返しは、漁に出たい人たちの船を直すことだ」と意気込む。
一方で多くの造船所はまだ業務を再開できず、修理にこぎつけられる船はひと握り。建造や修理の費用負担は重く、多くの船主から不安の声が上がっている。
同県陸前高田市の漁師鈴木陽夫さん(70)は、津波で流された漁船を1カ月半ぶりに見つけた。別の港に沈んでいた。「直すったって700万円はかかるな」
自分の船が行方不明の大船渡市内のカキ養殖業者(75)は「もう買えない。借金を背負うだけだ」と話した。(杉山正)