2011年5月2日1時38分
流れ着いたバスケットボールに記された寄せ書きを読む小野寺浩詩さん。「部員一人一人の顔が思い浮かびます」=1日午後1時半、盛岡市、井上写す
バスケットボールに記された小野寺先生へのメッセージ。「お幸せに」の文字も見える=4月30日午後、東京都文京区、伊藤進之介撮影
小野寺(旧姓・毛利)素子さん=小野寺浩詩さん提供
岩手県陸前高田市に住んでいた高校教師、小野寺浩詩さん(43)のもとに、妻と出会った高校の思い出が一つ、届けられた。「結婚おめでとう」との寄せ書きが記されたバスケットボール。自宅から約13キロ離れた宮城県気仙沼市の海辺に流れ着いていた。
同市唐桑町に帰省していた東京都文京区の会社員、鈴木丈一郎さん(44)は4月29日、実家近くの海辺で、ぽつんと落ちているバスケットボールに気付いた。手に取ると、びっしりと寄せ書きがされていた。
「バスケを指導してくださってありがとうございました」「先生に教えてもらったことを忘れないでがんばります」
かすれて消えかけた文字から、バスケ部の先生に宛てた生徒の寄せ書きだと分かった。「きっと大事なものだし、持ち主に戻したい」
自宅に持ち帰り、寄せ書きの中で判読できた「高田高校」「小野寺」「毛利」という言葉をインターネットの検索サイトで調べると、3月18日付朝日新聞夕刊の記事にたどり着いた。小野寺浩詩さんの妻で陸前高田市の県立高田高校の水泳部顧問だった素子さん(旧姓・毛利、29)が、海岸近くのプールで練習していた部員を助けに向かい、津波に流され行方不明になったことを伝えていた。
ボールは高田高校のバスケ部顧問だった浩詩さんが昨春、素子さんとの結婚を機に離任する際、部員からサプライズで贈られたものだった。市内の自宅2階の押し入れにしまっていたが、津波で家ごと流されてしまっていた。
鈴木さんから電話を受けた記者がボールを預かり、5月1日、浩詩さんに手渡した。部員とマネジャー計14人のメッセージが刻まれたこのボールは、震災後に見つかった唯一の自分のものだった。「ずっと気になっていた宝物です。返ってくると思っていなかったので、うれしいです」と涙ぐんだ。
素子さんの行方は分からないままで、遺体安置所に通う日が続く。妻の思いを胸に、教壇に立ち続けるつもりだ。(井上裕一)
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《3月18日付朝日新聞夕刊(東京本社版)記事の要旨》
先生、絶対帰ってきて――。東日本大震災で行方の分からなくなった岩手県陸前高田市の県立高田高校教師、小野寺(旧姓・毛利)素子さん(29)を、夫や同僚教師、生徒たちが案じている。「自分よりも、他人のことを真っ先に考える先生」と慕われてきた。顧問を務める水泳部の生徒を助けにいき、津波に巻き込まれたとみられる。再び教壇に立つ日をみんなが信じている。