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小尻記者の遺族、初任地の復興祈る 阪神支局襲撃24年

2011年4月29日2時25分

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 記者2人が殺傷された1987年の朝日新聞阪神支局襲撃事件から5月3日で24年になる。東日本大震災で被害を受けた岩手県は、亡くなった小尻知博記者(当時29)の初任地だった。遺族は、被災地の復興を祈りつつ、事件の真相解明を願っている。

 妻裕子さん(51)は京都府内でピアノ教師をして暮らす。岩手は新婚時代を過ごし、一人娘の美樹さん(26)と3人で暮らした地。「取材でお世話になった方々、どうかご無事で、と祈るばかりです」と話す。事件は公訴時効から9年となる。「とても残念です。主人の命を奪った犯人をどうしても許せません」

 美樹さんは大阪の朝日放送に勤務する。「震災で亡くなられた方のご遺族の痛みは、決して消えることがないでしょう。今回の地震を決して風化させてはいけないと思います」。そして、事件についても「何年たっても私の気持ちは変わりません」と語る。

 小尻記者の父信克さん(83)と母みよ子さん(79)は昨年、広島県呉市内の別々の高齢者福祉施設に入り、介護サービスを受けながら車いす生活を送る。体力が衰え、命日の墓参はできそうにない。信克さんは「生きているうちに何としても事件の真相を知りたいという私ら夫婦の気持ちに変わりはありません」と目を潤ませている。

 息子を失って以来、「人のいのち」に思いを巡らせて俳句を詠んできたみよ子さんは、「盛岡の思い出知らす風鈴や」「子の遺(のこ)せし南部風鈴鳴りづめに」と岩手の句もつくっている。東日本大震災について「ひとごとと思えません。残された家族の方々も、さぞおつらいことでしょう。どうぞ頑張ってほしいです」と語っている。

    ◇

 朝日新聞社は5月3日、小尻記者の遺品や事件の資料などを展示している阪神支局3階の襲撃事件資料室で、「『みる・きく・はなす』はいま」展を開く。「言論の自由」をめぐる様々な出来事を写真やパネルで紹介する。午前10時から午後5時まで。見学無料。支局1階には午前9時から午後7時まで記帳・拝礼所を設ける。支局は兵庫県西宮市与古道町にあり、阪神西宮駅市役所口からすぐ。

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