2011年4月28日9時37分
東日本大震災後、東京での仕事を辞め、故郷の福島県に飛び込んだ男性がいる。小針丈幸さん(33)。都内の病院で医療事務の仕事をしていたが、現地の惨状を知り退職を決断。震災で被害を受け雨漏りのする実家に住みながら、現地で支援団体を立ち上げ、被災地を走り回っている。
小針さんが、最初に現地入りしたのは震災2日後。故郷の風景は一変していた。いわき市四ツ倉など海岸部の家屋は津波で全壊していた。
東京に戻った小針さんは、退職を決意。引き継ぎなどをする間、震災前からユニバーサルデザインを学んでいた教育機関「日本ユニバーサルデザイン研究機構(日本ユニバ)」に連絡し、支援活動に参加する。日本ユニバは、自治体や企業に対して、災害時にユニバーサルデザインを通じた災害弱者への支援方法についての指導を行っていたNPO法人。震災後は、福島県内などで、孤立している被災者らへの支援をしていた。準備が整った3月24日、小針さんは、再び、いわき市に入った。
活動拠点として、日本ユニバの「いわき支部(http://www.wangura.net/nc/)」の立ち上げを提案、支部長になった。地元の若者に声をかけ、参加できる仲間を募った。
まず始めたのは、ガソリンの配給だ。物資はあるが、それを届けたり、取りに行ったりする手段のない人が少なくなかった。「いわき市は面積が広い。何をするにも車が必要だと思ったんです」。
ガソリンは、東京から携帯缶に入れてトラックなどで運搬。当時、緊急車両しか入れなかった高速道路への通行許可をもらい、県内のサービスエリアからも給油して、現地の人に届けた。
現在は、自宅に独りで暮らすお年寄りらへの支援に力を入れている。避難所に住んでいないと、必要な情報や物資が届きにくいと感じているからだ。
「救える人数は少ないかもしれない。でも、目の前のことに、一つずつ取り組んでいきたい」(奥山晶二郎)