「今朝、茨城県取手で、刃物を持った男性がバスの乗客に切りつけたというニュースが流れました。27歳。自分の人生を終わりにしたかった、と話しているといいます」
東京・六本木のライブハウスで、昨年暮れ、清水康之(しみず・やすゆき)(39)が若者たちに語りかけた。
清水は、NHKを辞めてNPO「自殺対策支援センター ライフリンク」を立ち上げ、代表をしている。「死んではいけない」という言い方をしない。「生き心地の良い社会をつくろう」という。
「生きる意味を考える孤独な作業を、同世代と語り合ってしていきたい。僕らはもう、明日は今日より良くなるという高度成長期の幻想のなかには生きられない」
会場は200人近くで埋まり、ニコニコ動画の中継を4万人以上が見守った。
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清水は高校を1年で中退している。「テストの点数がばっと廊下に張り出されて」。有無を言わせず従わせる姿勢が嫌だった。「ずっといたら、理不尽さに簡単に耐えられる大人になっちゃう」
16歳の夏、父親の知人を頼ってアメリカの田舎町に逃げ出す。母親が送ってくれた録画ビデオに、討論番組「朝まで生テレビ!」があった。
違うことは違うと静かに語る人がいた。政治学者の姜尚中(カン・サンジュン)(60)。当時は国際基督教大学準教授だ。姜が語った「ビトウィーンネス」という言葉が心に残った。はざまに生きる、という姜の志である。
清水はニューヨーク州立大に進むが、姜に学びたいと手紙を書く。1994年秋、国際基督教大に編入。姜が東大に移る前に卒業させた最後の教え子になった。
国家について卒論を書くはずだった。が、オウム事件が起きる。教団幹部井上嘉浩(いのうえ・よしひろ)(41)が中3で書いた言葉を新聞で読んで、清水は驚く。
〈朝夕のラッシュアワー/時に、つながれた中年達/夢を、失い/ちっぽけな金にしがみつき/ぶらさがってるだけの/大人達〉〈救われないぜ/これがおれたちの明日ならば/逃げ出したいぜ〉
自分が感じたことと、同じだ。日本にいたら自分もオウムへ? あるいは『完全自殺マニュアル』を手にしたか。
卒論は「日本脱出マニュアル」に変え、海外で生きる方法を述べた。とっぴな卒論に、姜が書いた感想は――。
“それでも人生にイエスと言う” いいと思う 姜尚中
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それでも人生にイエスと言う? 何だろう。調べたら、ナチスの強制収容所を生き抜いた精神科医ビクトール・フランクルの本の題だった。
人間はあらゆることにもかかわらず――困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、また強制収容所の運命の下にあったとしても――人生にイエスと言うことができるのです。(山田邦男・松田美佳訳、春秋社)
在日コリアン2世として熊本市に生まれた姜は、大学院時代にフランクルの講演録「意味への意志」を知って以来、多くの著書を読み、支えられてきたという。
なぜ自分は在日に生まれたのか。苦しかった青春時代から、「自分はなぜ生きているんだろう」と悩んできた。
「病にも悩むことにも意味があるのだと説くフランクルに触れて、目からウロコが落ちた。人は誰しも不条理を抱えて生きる。意味を見つけ出してそれを受け入れられたとき、自分と和解できる」
清水はNHKに入り、親を自殺で亡くした若者たちに出会う。特集の収録後の居酒屋で、その一人が言った。「父親を自殺で亡くしたからこそ生きられる人生もあるんだと思うようになりました」
受け入れ難い父の死。それでも人の痛みを知り、支え、支えられて生きてきた……。清水は圧倒された。
「人間ってすごい。捨てたもんじゃない」
フランクルは収容所の体験記『夜と霧』で知られる。日本では56年、アルゼンチンに次いで世界で2番目に早く翻訳され、読み継がれてきた。戦後日本にフランクルが残したものを、たどる。
(このシリーズは編集委員・河原理子が担当します。本文敬称略)