2011年4月18日15時7分
全国で唯一の「環境防災科」がある兵庫県立舞子高校(神戸市垂水区)が、津波被害を受けた宮城県石巻市に、18人の生徒をボランティアとして派遣した。今後、環境防災科の全120人が交互に宮城入りし、継続的に清掃や避難所支援などにあたる。被災者のために何ができるのか、高校生たちも必死に考えている。
■ヘドロ撤去・拭き掃除
生徒らは兵庫県が公募した一般ボランティア60人とともにバス4台で現地入りし、7日朝、1階が水没した石巻市立貞山(ていざん)小学校に集まった。21日に予定される始業式までに校舎をきれいにしなければならない。
付近は断水と停電、電話の不通が続いていた。体育館の床には、泥が乾いてこびりついている。床板は水を吸って膨張し、でこぼこの状態だ。
数人の女子がモップで水ぶきを始めた。水は別の小学校から台車で運ぶ。モップをすすぐとすぐに水が黒くなった。2年の仁科彩夏さんは「こんなになった床、見たことがない」と絶句した。
海から約2.5キロ。自衛隊や米軍が整地してもなお、校庭や側溝には厚さ5センチの乾いたヘドロが積もっていた。校舎外周のネットフェンスには、2メートルほどの高さまで、丸太や民家の玄関マット、賞状、ぬいぐるみなどの漂流物がひっかかっている。
3年の今井和良さんは、がれきの中から、家族写真が収められたアルバムを見つけた。「持ち主に返してあげたいけど、どこから流れてきたのかわからない」と途方に暮れた。3年の瀧野奈央美さんは、小学校1年生の答案を拾った。「この子、大丈夫やったかな。うちらが心配してるって伝えられたらな」
午後は隣の市立山下中学校の木工室や資料室の清掃をし、体育倉庫から真っ黒なヘドロをかきだした。白い不織布のつなぎを着て作業をした2年の新井秀太さんは、長靴が重くて動けなくなった。もがくとすべる。すぐにつなぎが真っ黒になった。かき出したヘドロを土嚢(どのう)に詰めた松浦由依さんは「テレビで見ているだけでは、ヘドロのにおいや感触はわからなかった。津波の力、水の力は恐ろしい」と言った。
■信頼が大事 再認識
夕方に作業を終え、生徒たちは仙台市内の宿舎に帰った。カップめんで夕食をとり、午後9時からミーティングが始まった。
生徒らは口々に「明日はもっと被害が大きい学校だと聞いているので、がんばりたい」と言った。それを聞いた諏訪清二教諭(51)は一喝した。「被災の大きさで力の入れ方が違うなんて失礼やろ」
昨年度の授業で、中国・四川大地震の被災地に行ったNGO団体の人から「ボランティアは被害の大きなところに行きたがる。そして周辺部が忘れられる」という話を聞いていた。諏訪教諭は「同じことやないか?」と問いかけた。
その夜、宮城県北部は震度6強の余震に襲われ、翌日の高校、小学校での清掃活動は中止になった。「児童の安否確認に忙しく、ボランティアを受け入れる余裕がない」と学校側から連絡があったのだ。生徒たちは落胆したが、諏訪教諭は「無理やり行っても邪魔になる。ボランティアで大事なのは、先方との信頼関係や」と諭した。
2年の伊藤早穂さんは決意を新たにした。「私たちは決まった時間しか活動せんかったけど、被災地の人たちは復興するまでずっとがんばり続けなければいけない。これからも長く支援したい」と話した。(阿久沢悦子)
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舞子高校環境防災科 阪神大震災の教訓を後世に引き継ぎ、地域防災の担い手を育てようと2002年4月に開設された。1学年40人。災害時のボランティア活動について学ぶ「社会環境と防災」などの専門科目が、卒業に必要な単位数の3分の1を占める。これまでも、水害があった兵庫県豊岡市や佐用町などで生徒がボランティア活動に携わってきた。