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停電が命の危機に直結 被災地の在宅重度障害者

2011年4月18日8時30分

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写真:生きている喜びをかみしめる菊池さん一家。左から父俊二さん、裕子さん、母紀子さん=岩手県釜石市甲子町、本田写す拡大生きている喜びをかみしめる菊池さん一家。左から父俊二さん、裕子さん、母紀子さん=岩手県釜石市甲子町、本田写す

 東日本大震災の余震が続く中、被災地には、停電が命の危機に直結する重度の在宅障害者がいる。避難所での集団生活は難しく、電動のたん吸引器や人工呼吸器が必要な人たちだ。自動車からの電源でしのいだり、緊急入院を余儀なくされたり……。家族や周囲の懸命な介護で乗り切ろうとしている。

 岩手県釜石市甲子町の菊池裕子さん(27)は生後10カ月で過って風呂の残り湯に落ち、脳障害から体が不自由になった。居間のベッドに寝たきり状態で、母の紀子さん(61)がつきっきりで介護してきた。

 流動食の食事や薬を1日3回、鼻から管を通して送り込む。むせてせき込むなど体がこわばる兆候が出るたびに、電動吸引器でたんを吸い出さないと、すぐに呼吸困難になる。

 あの日、大きな揺れで棚のものが次々と落ち、裕子さんはパニック状態に。紀子さんはとっさに裕子さんの上に覆いかぶさり、抱きしめて守った。父の俊二さん(63)は日課のウオーキングで外出していた。急いで帰宅すると、裕子さんはおだやかな顔に戻った。

 しかし、地震と同時に停電。裕子さんの呼吸を見ると、たん吸引の必要が迫っていた。俊二さんは機転を利かせ、玄関前の乗用車のエンジンをかけてシガーソケットから電源を取り、延長コードで吸引器につなぎ、ことなきを得た。

 停電は続いた。残っていたガソリンは3分の1程度。「電気が戻るか、ガソリンがなくなるのが先か」と案じる日々が続いた。窮状を知った親族がガソリンスタンドに並び、今日は3リットル、次の日は10リットルと届けてくれた。

 暗闇の中、ろうそくと懐中電灯で流動食の準備と注入、たん吸引をする夜は6日間続いた。地震から6日目の16日午後5時50分、電気が戻ったときは家族3人、拍手で喜んだ。

 大きな余震がくると裕子さんは取り乱して泣き出すこともあるが、紀子さんは「支えてくれる人がいっぱいいて、ここまでこられた。この子の笑顔は私たちを救ってくれています」と話す。

     ◇

 岩手県陸前高田市立高田第一中学校3年の菅野優希君(14)は脊髄(せきずい)性筋萎縮症。2歳のときに発症した。

 家でも学校でも特注の車イスで元気に走り回るが、筋肉が日々衰えていて、集団生活での寝起きは困難だ。体力が弱く、風邪などもひきやすい。夜は、呼吸困難になるために人工呼吸器を装着する。

 地震初日、優希君は同級生らと体育館に避難。市内はほぼ全域が停電だったため、担任教諭らが救急隊員に事情を説明し、かかりつけでもある県立大船渡病院に緊急入院した。

 今も停電が続く家には戻れず、母の光子さん(37)は自閉症児の弟、小学6年生の星樹(としき)君(11)を連れて毎晩、同じ病室の床に泊まり込んでいる。余震があると興奮気味の星樹君も手足の不自由な兄にご飯を食べさせ、おむつを換え、お風呂で体を洗ってあげる。

 停電の自宅では、夫の雅人さん(47)と義父母が待つが、避難所にいないため支援物資の配給もないし、風呂にも入れない。在宅障害児が帰宅できるめどはない。

 岩手県重症心身障害児(者)を守る会(平野功会長)によると、県内の被災地沿岸部にはこうした在宅重症者は25人、病院や施設に入っている人たちは約80人いるという。(本田雅和)

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