2011年4月15日11時2分
富士通は14日、東日本大震災の被災から復旧した福島県伊達市のパソコン工場を報道陣に公開した。島根県斐川町の自社工場に移した生産ラインの一部も18日に伊達市に戻し、本格稼働させる。震災前に策定した事業継続計画(BCP)が奏功し、早期再開にこぎ着けた。
落ちた天井やエアコン、壊れてなくなった壁――。震災の傷痕があちこちに残る伊達市の富士通アイソテック本社工場。パソコンの生産ラインには、組み立て作業をする従業員の姿があった。計8ラインのうち動いているのは6ライン、日産2500台分。残るラインは動かないが、その分を島根の工場で補っている。
今回の生産移管は、事前に準備したBCPに基づく判断だった。約3年前、新型インフルエンザの対応で本格的に整備したものだ。
BCPでは、福島のデスクトップ型パソコンの工場と、島根のノート型の工場のどちらかが生産できなくなった時、被災を免れた工場に移すと規定。その際の人員配置などを細かく決めていた。このため、今回の震災では移管がスムーズに進み、生産の中断期間を短縮できた。増田実夫アイソテック社長は「年度末で受注が多い時期だったが、遅れた生産分まで取り戻せた」という。
移管の速さは、この工場の早期復旧にもつながった。富士通本社のパソコン開発部隊と連携して移管する一方で、生産ラインの立て直しに集中できたからだ。一時は100人以上の従業員が、壊れたがれきを運び出したり、製造装置を元に戻したりといった作業にあたった。
だが、課題もあった。
工場の被害状況が停電などで確認しにくく、移管を決断するのに2日ほどかかった。また、計画では福島から4、5人のチームが島根に行き、移管作業に携わる予定だったが、工場の従業員は自宅も被災し、交通網も乱れた。結局島根に派遣できたのは1人だった。(大宮司聡)
◇
事業継続計画(BCP)
大規模な自然災害や感染症の流行などに備え、緊急時に事業を継続する方法や工場・設備の復旧手順などを事前に決めておくもの。優先すべき業務や社員の配置・役割分担、資材の調達方法などが盛り込まれる。