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「非常時」に現職の安定感 石原都知事4選、新顔は苦戦

2011年4月10日21時7分

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写真:9日、東京・有楽町で演説会に臨んだ石原慎太郎氏=竹谷俊之撮影拡大9日、東京・有楽町で演説会に臨んだ石原慎太郎氏=竹谷俊之撮影

 東日本大震災という「非常時」に、東京都民が求めたのは現職の安定感だった。石原慎太郎氏(78)が4選を決めた都知事選。選挙運動に代わって災害対策にあたる姿を強調し、「東京から日本を救う」と訴えた石原氏の前に、新顔候補は対立軸を示せなかった。

 「東京が混乱して止まったら国も止まる。この国の衰運は否めないが、肩を組んで衰運を押し返そう」。当選を決めた石原氏は支持者にこう呼びかけた。

 異例ずくめの選挙だった。1カ月前の3月11日午後。一度は決めた引退を翻し、都議会で「最後のご奉公」と表明した。その25分後に大震災が起きた。

 夜には帰宅困難者が都内にあふれ、3日後から計画停電が始まった。都の水道水からは乳児の基準を超す放射性物質も検出された。

 「選挙をやってる場合じゃない」と、石原氏は防災服姿で通した。街頭演説は9日だけ。選挙カーは走らせなかった。代わりに避難所に被災者を見舞い、浄水場で水を飲んでみせた。首相官邸に乗り込み、政府の災害対応も批判した。

 ふだんは週2、3回しか登庁しないが、ほぼ連日、メディアの前に姿を見せた。地震発生後の記者会見は11回。視察先などでは13回取材に応じた。陣営関係者は「公務を果たせば支持につながる」。そんな選挙だった。

 候補者不在の現場は自民、公明両党が担った。無党派層に訴えるのがこれまでの石原氏の選挙戦。政党の出る幕はなかったが、「前回より党が一歩前に出たという感じ。チラシも、選挙はがきも、公約集も、全部こっちが主導でやった」(自民都連幹部)。

 自民党は、38人の都議に1人1千枚の選挙はがきを送るノルマを課し、業界団体回りも1人2〜5団体を割り振った。「安定が求められる有事の選挙で現職は有利。だからこそ公務の継続を強調した」

 石原氏自身、「地震が来て、やっぱり俺がやらなきゃいかんかな、宿命なのかな」と自負していたが、得票率は前回より約8ポイント低い43%にとどまった。

 「自粛ムード」の中、論戦はほとんどなかった。主要候補がそろった討論はテレビ番組で1回だけ。3期12年の石原都政の総括も低調だった。石原氏の「この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。天罰だと思う」という発言も、大きくは影響しなかった。

 テレビを活用した「空中戦」ができず、新顔は苦戦を強いられた。

 立候補表明が告示2日前と出遅れた東国原英夫氏(53)。メディアの注目を集めて圧勝した4年前の宮崎県知事選の再現はならなかった。「私の力量不足。申し訳ない」と支持者に頭を下げた。訴えが広がらなかった理由は「選挙報道のボリュームが通常より極端に少なかった」。

 経営手腕をアピールした渡辺美樹氏(51)は落選が決まり、「都民の意識が震災に向かい、安定を求めたことが石原氏の追い風になった」。選挙終盤には、こうも漏らしていた。「石原さんと討論したくても、公務があってできなかった。我々にすれば、発言の機会を封じられた思いだ」

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