現在位置:
  1. asahi.com
  2. ニュース
  3. 特集
  4. 東日本大震災
  5. 記事

これほどの無明を、見たことはなかった(2)

[掲載]AERA 2011年4月11日

印刷印刷用画面を開く

Check

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

写真:津波は街も人々のくらしも一瞬にして流し去った/3月18日、岩手県大槌町(photo 朝日新聞社・安冨良弘)拡大津波は街も人々のくらしも一瞬にして流し去った/3月18日、岩手県大槌町(photo 朝日新聞社・安冨良弘)

写真:応援医師に状況を説明する白石吉彦医師(左)/3月20日朝、岩手県藤沢町(photo 外岡秀俊)拡大応援医師に状況を説明する白石吉彦医師(左)/3月20日朝、岩手県藤沢町(photo 外岡秀俊)

写真:水に流された車は、凶器となって家にめり込む/3月22日、岩手県大船渡市(photo 外岡秀俊)
拡大水に流された車は、凶器となって家にめり込む/3月22日、岩手県大船渡市(photo 外岡秀俊)

写真:船が道に立ちはだかる/3月24日、宮城県石巻市(photo 外岡秀俊)拡大船が道に立ちはだかる/3月24日、宮城県石巻市(photo 外岡秀俊)

写真:東日本大震災と阪神大震災の比較拡大東日本大震災と阪神大震災の比較

■寒い体育館に咆えるように泣く女の子の声が響いていた

 3連休明けの午前5時46分に起きた阪神大震災では、ほとんどの人が自宅で寝ていた。生死にかかわらず、家族の安否はわかった。今回の震災は、午後2時46分。人が活動し離れ離れになっている時刻に起きた。

 「お年寄りや子どもを避難させようと車で家に向かい、渋滞に巻き込まれて押し流された人が多い」

 と内藤医師は言う。

 地震から津波襲来まで約30分。それだけの時間があったのに、なぜこれほど多くの人が犠牲になったのか。

 私も被災地に来るまで、疑問を抱いていた。だが内湾から深くV字に切れ込む奥の高台まで、大人が全力で走って30分。

 首都圏で今回の地震を経験した人なら、3度の大揺れで10分近く、なすすべもなかったことを思い出してほしい。まして親や子を救おうとすれば、自らを顧みるゆとりはなかった。

 避難所の壁に、そうして生き別れた人々が安否を問い、無事を知らせるメモがはってある。

 ――寛子へ 母は助けられ、大沢にいます

 ――小野寺寛和、真喜代、しづかを探しています

 ――愛は元気でケー・ウエーブの駐車場にいます

 ――中華・高橋水産で働いている方、みんな無事ですか? 心配です。いる人は下記へ名前記入して下さい

 その伝言板の傍らで、被災後に再会した人々の声が弾む。

 「だいじょうぶだったか、おめえ」

 「や、あいつもやられたか」

 そんな声に交じり、寒い体育館に喉を嗄らし、咆えるように泣く女の子の声が響く。髪や頬が、小麦粉をまぶしたように白く、埃だらけの顔で放心している男性。髪がほつれ、虚脱したように毛布にくるまったままの女性。疲労やひもじさより、愛する人々の喪失で、体の芯が抜かれてしまったかのようだ。

■地獄に行ったことないけど、地獄よりひどい

 丘の上にある避難所から、長い坂を歩いて市街地に出る人が多い。ガソリンがないため、肉親を捜して、安置所や他の避難所を訪ね歩くしかないのだ。

 この日、私たちと医療救援に入った三阪高春医師は、奥さんが気仙沼市近くの出身だった。給油所で働く義理の弟は、やはりガソリンがなく、仕事場までの17キロを、自転車をこいで通勤しているという。

 避難所で、気仙沼漁協水揚計算課長の吉田教範さんと会った。地震の時は、内湾に近い漁協ビル2階で仕事をしていた。大津波警報の放送を聞いてすぐに屋上に逃げ、夢中で避難する人々を誘導した。

 「私たちは、津波ではまず内湾の水が引き、すっかり底が見えると聞かされていた。実際には、引ききらないうちに押し波が来て、渦になった。遠洋延縄船や大型の巻網船などが次々に押し寄せ、タンクも流された」

 夕方、流れ出た重油に火がついた。津波は100波以上も寄せては返し、そのつど、燃える船が陸地に火をつけて回った。気仙沼は大火に包まれ、震災、津波に次ぐ追い打ちをかけられた。

 吉田さんは自宅、娘夫婦の自宅、父親が住む実家のすべてを失った。父親は今も行方不明で、毎日安置所を歩いて回る。家族全員、身一つで逃げ、財布以外はすべて失った。全壊しても家財道具を取り出せた阪神大震災とは、そこが違う。被災者は、文字通り無一物なのだ。

 昨年12月、『津波災害』(岩波新書)を出した河田惠昭・関西大学社会安全学部長によると、津波は陸地にぶつかって複雑に反射し、繰り返す。深さ50センチの波打ち際にいて50センチの津波が加わると、速さは毎秒2メートル。体に0.3トンの力が加わり、立っていられない。東北大の調査では、今回の津波の高さは平均して10メートル。

 「水面全体が10メートル上がり、堰きとめられると、運動エネルギーが位置エネルギーになって、水が一気に駆け上がる。局所的には高さ50メートルに到達してもおかしくない」

 その言葉に納得するような光景を見た。気仙沼市唐桑地区。平地から二十数メートル高台の電線や木の梢に、浮きのガラス玉や海藻がぶら下がっていた。近くの大型スーパーの屋根には、海の怪物が運んだかのように、黄色い乗用車が載っていた。

 近くを、杖をついたお年寄りが通りかかった。梶原寿子さん(77)。「あそこにおったの」と、数キロ先の高台を指した。

 「すぐ近くまで黄色い水が押し寄せてきた。すぐ後ろを青い水が追ってきて、大きな家や施設があったのを、静々と持っていったの。大東亜戦争の時よりひどい。地獄に行ったことないけど、地獄よりひどい」

 東京から持参した物資はすぐ尽きて、毎朝、後背地で果物や食料を仕入れ、避難所に届けるのが日課になった。(つづく)

検索フォーム

朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内事業・サービス紹介

東日本大震災アーカイブ

グーグルアースで見る被災者の証言

個人としての思いと、かつてない規模の震災被害、その両方を同時に伝えます(無料でご覧いただけます)

プロメテウスの罠

明かされなかった福島原発事故の真実

福島第一原発の破綻を背景に、政府、官僚、東京電力、そして住民それぞれに迫った、記者たちの真実のリポート

検索

亡くなられた方々

| 記事一覧