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これほどの無明を、見たことはなかった(3)

[掲載]AERA 2011年4月11日

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写真:津波は街も人々のくらしも一瞬にして流し去った/3月18日、岩手県大槌町(photo 朝日新聞社・安冨良弘)拡大津波は街も人々のくらしも一瞬にして流し去った/3月18日、岩手県大槌町(photo 朝日新聞社・安冨良弘)

写真:応援医師に状況を説明する白石吉彦医師(左)/3月20日朝、岩手県藤沢町(photo 外岡秀俊)拡大応援医師に状況を説明する白石吉彦医師(左)/3月20日朝、岩手県藤沢町(photo 外岡秀俊)

写真:水に流された車は、凶器となって家にめり込む/3月22日、岩手県大船渡市(photo 外岡秀俊)
拡大水に流された車は、凶器となって家にめり込む/3月22日、岩手県大船渡市(photo 外岡秀俊)

写真:船が道に立ちはだかる/3月24日、宮城県石巻市(photo 外岡秀俊)拡大船が道に立ちはだかる/3月24日、宮城県石巻市(photo 外岡秀俊)

写真:東日本大震災と阪神大震災の比較拡大東日本大震災と阪神大震災の比較

■4日目から炊き出しで3食、一日3回定時会見する避難所

 8割近い世帯が水没し、約1千人が亡くなり、約1300人が行方不明の陸前高田市。取材時1千人近くが避難していた市立第一中学校は、訪ねたうち、最も組織だった動きをする避難所だった。

 被災当日には行政区別の名簿を作り、仮設トイレを建て、ロウソクで通路を照らした。2日目に発電機を回して暖を取り、コンビニから寄付されたお握りを支給。4日目からは炊き出しなどで3食を取れるようになった。市職員OBが代表を務め、地区代表、食事班、物品班、医療班、施設管理・電気設備などの組織を作っている。一日3回、定時に記者会見までして、レンタルビデオ店員の山崎亮さん(26)がメディアを取り仕切る。

 「地区や町内会単位にしたのがよかった。被災者が炊き出しなどでボランティアをして、よく動いています」

 そう語る山崎さん自身、被災者だ。学校裏手の崖下から、父親と20メートルを這い上がって助かったが、母の安子さん(58)は逃げ遅れた。

 道路の両脇に数キロの瓦礫の山が広がる大船渡市には22日に入った。コンクリートの柱がねじ切れ、中の鉄線がむき出しだ。ソファや布団、濡れた縫いぐるみのクマ。そのすぐ近くまで、コンテナが迫る。ここではオランダチームが犬を連れて救助活動を続けていた。生存の望みは細りつつある。だとしても、自衛隊が重機で瓦礫を撤去する前に、何とかご遺体を発見したい。大船渡地区消防組合が捜索を続ける。

 津波は道路ひとつを隔てて、大鉈のように生と死、平穏と破壊を断ち切った。大船渡町に住む佐々木正さんの自宅は無事。すぐ前の道路を、横倒しに流れた木造家屋がふさぎ、目の前に2台の乗用車が重なり、電柱にもたれかかっている。

 「人が、油断したかな。津波、速かったもの。こんなになって」

 震災前日に買った灯油の買い置きがあり、ストーブで暖を取る。ロウソク生活だが、しばし過ごした避難所より自宅がいい。

 雪の降りしきる釜石市では、物資仕分け係の男性が、厚いジャンパー着で足踏みをしていた。市議会事務局長の小林俊輔さん(56)だ。近くの災害対策本部で寝袋生活を送る。海岸から500メートルの実家は流され、2キロの自宅も2階まで浸水した。

 「小さなころから、明治大津波はここまで、昭和津波はここまで来た、と教えられてきた。それを考えて自宅を建てたが、まさかあそこまで来るとは」

 早朝から夜中まで物資の仕分けに追われ、体力も限界だ。

 「雪の降った日は、凍死するかと覚悟しました」

 小林さんに限らず、避難所を運営するのは、市職員だ。釜石中学校では、統計係長の栃内宏文さん、資産税係主査の松下隆一さんが、不眠不休で500人を世話してきた。自ら被災者でありながら、公務員であるばかりに、家族のもとにも帰れない。

■「被害は津波によるもの最も多く海岸は実に悲惨です」

 都道府県初の防災監として、阪神大震災の復旧復興にあたった斎藤富雄さんは、現地を視察したうえでこう話す。

 「2週間たっても、避難所の環境は阪神大震災の3日目くらい。とにかく人手が足りない。厚生労働省は、応援保健師らを個別に送っているが、すべて縦割りで、どこにニーズがあるか把握していない。政府が割り振って、全国自治体が個別に、特定の市町村を徹底的に支援する。全国が3〜5年支えない限り、被災地が立ち直ることは難しい」

 自然災害では、直近の最大被害を基準に防災対策を立てることが多い。一応の目安に過ぎないのに、絶対安心という「安全神話」が生まれる。専門家にとっては「想定外」であっても、被災した人々はその現実に向き合うしかない。

 まして同時進行している原発危機は人災である。事故は、「想定外」だからこそ起きる。免罪符にはならない。必死で作業に勤しむ人々を励まし、粛々と各持ち場を守るしかない。

 西日本の人々は、阪神や豪雨を経験し、被災地にいる人々の境遇を肌で実感している。この国で、津波被災の実感を欠く真空地帯は、目前の放射線に怯えて萎縮する東京だけなのだ。

 23日夜、宮古市まで、海岸沿いの夜道をひた走った。前後左右、車のライト以外に、どこにも光はない。横殴りに降る粉雪が、廃墟に積もる瓦礫の山を白紗で覆い、すべては白々としている。これほどの無明を、見たことはなかった。

 明治の三陸大津波の年に生まれ、昭和の三陸津波の年に逝った詩人がいる。彼は後者の災厄の4日後、友人あての葉書にこう記した。

 「被害は津波によるもの最も多く海岸は実に悲惨です」

 それでも彼、宮沢賢治が残した「雨ニモマケズ」の詩を心の支えに、被災地の人々は、凍てつく無明の夜に耐えている。(おわり)

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