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〈伝えたい―阪神から〉型はまらぬ支援を

2011年4月9日0時12分

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写真:村井雅清さん村井雅清さん

■村井雅清さん(60) 被災地NGO恊働センター代表

 自らの手で日常を取り戻していくことを、私たちは「恢復(かいふく)力」と言っている。被災者が自立し、再建途上に関わること。阪神大震災から16年、これが一番大事なのではないかと感じている。

 これまで20カ国・地域で災害ボランティアをしてきたが、昨年1月のハイチがいい例だ。避難所へ行くとテントが閉まっていた。みんな働いている。元々露天商の盛んな地域だが、自分らで稼いで物を買い、日常を取り戻そうとしていた。今までにない経験だった。

 3月25日に岩手県遠野市へ入り、足湯の提供や横断的なボランティア組織「遠野まごころネット」の立ち上げに関わった。現地で伝えた、支援物資のタオルをゾウの形に縫い上げて、1個400円で売る「まけないぞう」は、神戸の仮設住宅のおばあちゃんのアイデアで始まったものだ。

 作り方を教えると、みなすぐに覚えてくれた。必ず器用な人がいて、翌日には新しく来て作り方を知らないボランティアに教えている。支援される側が教える立場になり、被災者の表情に輝きが戻る。

 僕らがするのはこういった自立支援。ただ、発生当初はボランティアの素人は現地へ行かないほうがいいという空気があった。岩手県社会福祉協議会も、今月に入るまで県外ボランティアを受け付けなかった。でも、僕は「どんどん行ったらいいやん」という意見だった。

 阪神大震災では138万人がボランティアをしたとされる。うち100万人は2カ月間に駆けつけ、しかも7割は初心者だったという。被災者に寄り添えるのはボランティア。それも型破りな力のあるボランティアほど一人ひとりを見守ることができるはず。1月に出した講演録の題も「不良ボランティアが社会を変える」。僕らも行政も型にはまってはいけないのです。

 阪神大震災で、僕らは自転車隊を作り神戸市兵庫区内の仮設住宅を回っていた。ある日、「住宅団地の入り口で倒れているおっちゃんがいる」と電話があった。現場へ向かうと同時に区役所へ連絡した。そうしたら、「その人は何歳ですか」と担当者が言う。そんなことは関係ないはずなのに、「要支援者は65歳以上となっていますから」というわけだ。

 そんなマニュアル通りの対応をしている以上、大災害に対応はできない。型どおりに動くことがネックになるということを知ってほしい。大切なのは、いかに被災者に寄り添うか考えることなのです。(聞き手・谷辺晃子)

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