2011年4月5日3時0分
福島県楢葉町。町の大半が福島第一原発から半径20キロの「避難指示」圏内に含まれている。
人や車の姿はない。「3週間前には想像できなかった光景だ」。自衛隊員と一緒に毎日圏内に入っていく町議会副議長の山内左内さん(61)は言う。ときどき、放し飼いにされた牛の一群が道を歩いているのに出くわす。畜産農家や酪農家が避難するとき、「小屋で死なせるよりはいい」と放したのだという。
圏内にとどまっている14世帯19人を見守り、避難を説得するのが山内さんの日課だ。14世帯の固定電話は断線のためか使えず、携帯電話も通じない。山内さんだけが、外部との接点になっている。
90代の母を10年間にわたって介護してきた夫婦は、山内さんにこう説明したという。いま、母を動かしたら亡くなってしまう、絶対に動かせない――。
母は長い間寝たきりの状態。地震前は、隣の広野町にある病院の医師が往診してくれた。だが、広野町の住民も別の町に避難したため、医師はそこで避難者の診察をしており、往診には来られなくなった。必要な薬は山内さんが避難所でそろえて届けている。
夫婦はほとんど外に出ない。山内さんが届けた白い防護服を2人そろって着て、自宅のわきでゴミを焼いている姿を見るという。「日常では考えられない。普通の姿じゃない」
町では昔から名家で知られる80代男性も、山内さんの見守りの対象だ。「家を守る義務があるから」。そう言って、町にとどまり続けているという。
男性は長男と一緒に暮らし、長女も近くに住んでいた。避難指示を受け、長女は千葉県、長男は茨城県に移った。父親を気にかける長男は、山内さんに「いわき市まで迎えに行くから、何とか父が出てくるよう説得してほしい」とお願いするが、男性は「仏様を守る」と説得には応じない。
山内さんによると、同町の20キロ圏内にいる人は90代、80代、70代がそれぞれ1人、残りは50〜60代という。多くの世帯が「息子の体が弱いから」「家を空けることはできない」といった理由で避難しないでいる。山内さんは各世帯を訪れるたび、水と食料が足りているかを聞いて、3日分は常に残るように届けている。
山内さん自身は、いわき市内の避難所になっている小学校で暮らす。「住民がいる限り見捨てることはできない。役場が町の外に移っている以上、町民にはここから避難するよう説得していく」。朝7時すぎに避難所を出て楢葉町に向かい、午後3時くらいに戻ってくる毎日を送る。(矢崎慶一)