2011年3月26日18時57分
地震や津波で大きな被害を受けながらも、住民が力をあわせて一歩を踏み出そうとしている集落がある。地域コミュニティーを大切にしたいという思いから、以前の住所に従って体育館内で「引っ越し」すらした。お年寄りも掃除などの役割を担い、「ご近所力」で避難所生活を乗り切ろうとしている。
宮城県気仙沼市唐桑町で避難所となっている小原木中学校では、隣近所の家族的で緊密なつながりを保つため、体育館内で大々的な「引っ越し」に踏み切った。当初は、避難してきた順番で場所を決めていたが、隣組単位で並ぶように変えたのだ。
引っ越し後に「おとなりさん」になった伊藤きん子さん(80)と熊谷れい子さん(82)は、生まれも嫁ぎ先も同じ集落という「80年のつきあい」だという。家が流されたが、体育館でも「また一緒になった」と笑い合う。
伊藤さんの夫、清美さん(79)は津波で流された。寂しさとつらさはあるものの、横に並んで寝てくれる熊谷さんがいてくれて「心強い」という。「泣いてばかりもいられない。力をあわせてがんばって生きていくしかない」。そう言って顔を見合わせた。
小原木中に避難する住民が住んでいた大沢集落は、津波で壊滅的な被害を受けた。189戸のうち、流されずに残ったのは40戸ほど。体育館では、高齢者を中心に200人前後が生活している。
65歳以上の人口が半数を超える同地区では、避難所の運営を担う若手が少ない。最初の数日間は自治会役員らが中心になって動いていたが、長期化を見越して組織作りを進めた。今では自治会長をトップにした対策本部ができている。総務、食料・水等調達、給食・調理班など6班体制で、毎朝7時半に集まり、前日の反省点などを話し合う。
活動する人に年齢制限はない。掃除班の班長を務める星アヤ子さんは80歳。当番日には、トイレ清掃や体育館入り口付近の靴整理を担当する。「家の玄関が汚れていると嫌なもの。ここも家と同じようにきれいにするつもりでやっている」と話す。
星さんは津波で夫(83)と三男の嫁(45)を亡くし、長男(53)とはまだ連絡が取れていない。「体を動かしている方が気が休まる」という。
大沢自治会長で対策本部長を務める伊藤久侑さん(70)は当初、「今後どうなっていくのか」と途方に暮れていたが、震災から10日が過ぎたころには「ようやく軌道に乗ってきた」と少し表情を緩めた。体育館を出入りする人たちは自然に「ただいま」「おかえり」と口にするようになった。
体育館の壁に張られた「避難所生活のきまり」には今、こう記されている。
「ここはみんな家族です」(山本奈朱香)