2011年3月24日8時52分
「鈴木さんの機転がみんなを救った」と話す東北学院大の宮城教授。本来の避難場所の寺は津波が襲い、がれきの山になっていた=宮城県七ケ浜町
機転を利かせて60人を救った鈴木さん(右)と防災活動を指導した東北学院大の宮城さんは再会を喜んだ=18日、宮城県七ケ浜町
東日本大震災で津波に襲われた宮城県七ケ浜町で、自主防災組織のリーダーの機転が60人の命を救った。県の想定を超す大津波の到来をラジオで知り、指定の避難場所から住民をさらに高所に避難させ、危機を脱した。
「先生、本当に先生のおかげだぁ」
七ケ浜町花渕浜地区の自主防災組織リーダー、鈴木享さん(57)は、震災後に再会した東北学院大の宮城豊彦教授を抱きしめた。
鈴木さんら住民は、町内に住む宮城さんの指導で避難場所を決めるなど、防災に取り組んできた。宮城さんは津波防災の研究で知られる。
高齢者の多い集落では、地震後の長い移動が難しい。だから、避難場所は県が想定する最大の3.3メートルの津波からようやく逃れられる近所の寺にした。11日の地震後、住民は寺の駐車場に集まった。
じっとラジオに耳を澄ませていた鈴木さんは、他の地域に到達した津波が「5メートル」と知り、耳を疑った。
「県の想定に比べて大きすぎる。これじゃ危ない」
宮城さんと勉強してきた津波のことが頭に浮かび、急いで移動を決断。高齢者を近くの幼稚園のバスに乗せ、集まった仲間に移動を呼びかけた。30分かけて数百メートル離れた高台に60人を移した。
「その途端、避難場所の寺が津波にのまれた」と鈴木さんは振り返る。
津波から1週間後、避難所で人々の生活を支える鈴木さんを訪ね、宮城さんは言った。
「結果的に、適切な避難場所を伝えられなかったことは申し訳ない。でも、学んだ知識を生かし、みんなを救ってくれた。素晴らしかった」(長野剛)