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被災地に家族、わが子も預け…救援活動続ける自衛隊員

2011年3月21日21時58分

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写真:野蒜小学校のがれきをトラックに積み込む自衛隊員=18日、宮城県東松島市、長沢幹城撮影拡大野蒜小学校のがれきをトラックに積み込む自衛隊員=18日、宮城県東松島市、長沢幹城撮影

 東日本大震災の救援のため、史上最大の規模で動員された自衛隊。被害の大きかった東北各県には全国各地から部隊が結集しているが、現場で作業にあたる隊員には多くの地元出身者がいる。被災地に家族を残し、連絡も十分にとれないまま、「任務」として救援活動を続ける。

 仙台市から東に約20キロ、宮城県東松島市野蒜(のびる)は夏場になると海水浴客でにぎわう地区だが、津波に襲われ、まだ被害規模すらわからないほど荒れ果てている。

 陸自郡山駐屯地(福島県)などから駆けつけた約100人の自衛官が、集落一帯を覆うがれきの山と格闘する。ショベルカーを使う前に、泥にまみれた流木や土砂の下に人はいないか、手作業で確かめる必要がある。津波の直後は流れ着いたものが集落一帯に積み上がり、どこが道路か分からないほどだったが、いまは車も通れるようになった。

 郡山駐屯地から派遣された自衛官(45)の実家は、そこから北東に十数キロの石巻市。やはり被害が大きかった地域だ。家は床上浸水したが、幸い両親は無事だった。「野蒜の被害を見れば、実家の方は少しはましかも知れない」

 今、難渋を極めているのは道路をふさぐように散らばった自動車の処理だ。所有者がいる以上、勝手に撤去して傷つけるわけにもいかない。部隊が拠点を置く野蒜小学校の正面玄関奥にも、乗用車が1台、積み上がったがれきと土砂に斜めに突き刺さっていた。

 郡山から来た別の自衛官(48)の家族は、福島第一原発から約50キロの福島県東部に住む。「今はいいが、今後どうなるか」。不安で仕方がないが、家族とは電話で話しただけだ。「職業柄、任務が優先ですから」

 野蒜小学校は一時、被災住民の避難所になっていたが、余震による新たな津波の被害を避けるため、別の学校に移動した。教室の黒板には、住民が書いたのか、「お世話になり ありがとうございます」の文字が並んでいた。

 東京の部隊から仙台に応援に駆けつけた陸自幹部は、食事中に地元の隊員と談笑していて「実は家族が今、避難所にいます」と聞かされた。災害地では助ける側も被災者なのだと知った、という。

 陸自仙台駐屯地には、震災後、自衛官の子どもの一時預かり所が開設されている。保育所などが被災し、預け先が見つからない場合の備えだ。19日の昼過ぎ、迷彩服姿の女性自衛官が子ども2人を託し、急いで仕事に戻っていった。地震のあった11日の夜は20人以上を預かった。

 東北6県の自衛官約2万人の親族で、まだ安否の確認がとれない人がいるという。「統合任務部隊」の君塚栄治指揮官は記者会見でこう語った。「われわれ自衛官も被災民なのです」(川端俊一)

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