2011年3月21日14時52分
世界有数の漁場といわれる三陸沖。その中枢を担う宮城県内の漁港が、東日本大震災で、水産・養殖施設なども含めて壊滅状態になった。復興の見通しは立たず、水産業そのものがなくなる岐路に立たされている。消費者にも影響が及ぶのは必至だ。
■港も市場もメド立たず
「気仙沼から水産業が消えてしまう」「700人の従業員を抱えている。復興するまで給料をどうやって支払えばいいのか」
津波と火災で大打撃を受けた宮城県気仙沼市の気仙沼漁港。20日朝、震災後、初めてとなる気仙沼漁協の会合が開かれた。佐藤亮輔組合長は「何としても魚市場を復興させたい」と訴え、菅原茂市長も「海がある限り、気仙沼は不滅だ」と力を込めたが、詰めかけた200人の漁師や水産業者らからは不安と不満の声が噴き出した。
魚市場は、前面の岸壁が10センチ沈んだり、荷下ろし場に打ちあげられた小型船や乗用車が散乱したりしており、ほぼ半壊状態。漁業関係者は「地盤沈下したところで、市場の再建など本当にできるのか」と声を荒らげた。
出席者からは「東北の太平洋側にある漁港はどこも壊滅状態だ。国から十分な支援を受けられるのか」「冷蔵庫も壊れ、氷も電気もない。解けかけている魚をどう処理すればいいのか」と、矢のような質問が飛んだ。
同漁港は湾奥に位置し、立地条件に恵まれた全国屈指の良港だった。沖合・遠洋漁業の拠点で、カツオ、マグロなどの水揚げが多い。魚市場の2010年の水揚げ金額は225億円で全国8位だ。
しかし、漁港も街も変わり果て、どこからどう復興に取りかかればいいのか、見当がつかない。「産業のないところに人は住めない。沖には我々が守ってきた自然の恵みがある」。漁協幹部はこう訴えたが、会場からは拍手とともに「うーん」とうなり声が漏れた。
■復興「ゼロから」
宮城県は気仙沼、女川、石巻、塩釜など全国有数の漁港を抱える。海での漁業・養殖業の生産額は791億円(09年)で全国4位。本州では1位だ。水産加工業は2817億円(07年)で全国2位。沿岸の地域経済を支える屋台骨だった。
だが、震災によって、県内全域の漁港で「魚をとる、受け入れる、加工して付加価値をつける、運ぶ。こういう機能がすべて止まった」(県水産業振興課)。被害額は計算することもできない。
まず「生産」では、津波で漁船やカキなどの養殖施設が流された。乗組員や養殖業者の多くが避難生活を強いられている。魚を買い、消費者につなぐ仲卸業者も、大半が沿岸に事務所を構えていたために被災。仮に今後、水揚げができるようになっても「多くの漁港で、魚市場自体が形も機能もなくなっている」(同課)ため、魚を受け入れることはできない。
干物やタラコなど水産加工の業者も同じだ。冷凍・冷蔵庫などの設備が辛うじて残っていても、停電で再開できない。漁港から仙台市などの消費地に届ける物流は、燃料不足や道路の寸断で滞っている。水産県・宮城は「全くのゼロ」(村井嘉浩知事)からの復興を余儀なくされる。
■築地の取引、3割減
黒潮(日本海流)と親潮(千島海流)がぶつかり合う三陸沖は、カツオやサバが群れをなす「世界三大漁場」の一つ。東北の太平洋岸(茨城県を含む)に水揚げされる水産物のシェアは、国内の2割を占める。
東京・築地市場の19日の水産物の取引量は1639トン。前年の同じ時期に比べて3割少なかった。「マグロやサバなど東北のシェアが高い魚種を中心に入荷量が少ない。いつまで続くのか、見通しも立たない」と話す。
大手スーパーでは、東北からの水産物の入荷が止まっている。当面は在庫がある輸入品や冷凍品、干物などを売り場に並べている。調達ルートを東北から西日本に切り替えることも進めているが、「量の確保が難しい」という。
首都圏の中堅スーパーでは鮮魚だけでなく練り物も不足気味で、新たな仕入れ先を探すという。
(三浦英之、高橋昌宏)